南北史演義第085回 湘州に拠り陳宗が国に殉じ、嶺表を撫し冼氏が蛮を平らげる (據湘州陳宗殉國 撫嶺表冼氏平蠻)

建康の戦後処理

  • 晋王広は張麗華を高熲に殺されたことを恨みつつも表面上は平静を装い、建康に入って軍民を慰撫し、施文慶ら5人の佞臣を斬首した。図籍・府庫を接収したが自らは何も取らず、名を売る行いだった。
  • 賀若弼は軍令違反(先陣を切ったこと)で罰せられかけたが、隋主は韓擒虎・賀若弼の功で罪を相殺し、両者に厚く賞を与えた。
  • 陳の使者許善心は陳滅亡を知り縗服で哀悼したが、結局隋に仕えることとなった。

上流諸城の降伏

  • 陳の周羅睺・荀法尚は江夏を守り、陳慧紀・呂忠粛は巫峡で抵抗したが、建康陥落を知り次々と隋に降伏。江州・豫章も次々と帰順した。
  • 陳の吳州刺史蕭摩(麾)は抗戦したが敗れて捕らえられ、東揚州刺史蕭岩は会稽で降伏したが、隋主は恩を忘れた罪で処刑した。

湘州の抵抗と岳陽王叔慎の殉節

  • 湘州刺史岳陽王陳叔慎(陳主頊第16子、18歳)は独り降伏に反対し、長史謝基・陳正理らと共に決起。偽りの降伏で隋将龐暉を誘殺し、5千の兵を集めて抵抗した。
  • しかし隋の薛冑・劉仁恩の攻撃を受け、湘州城は陥落。叔慎・正理・鄔居業は捕らえられ、秦王俊の尋問にも屈せず処刑された。義烈な最期であった。

嶺南の平定と冼夫人

  • 高涼郡太夫人冼氏は嶺南で威望を保ち続けていた。陳滅亡後、嶺南は帰属先を失ったが、冼夫人は嶺南の民を「聖母」として保った。晋王広の書状を受け、冼夫人は首領たちと相談の末、隋への帰順を決断。孫の馮魂を遣わし隋将韋洸を迎えさせ、嶺南は平定された。冼夫人は宋康郡夫人に冊封された。
  • 陳は武帝の簒梁から叔宝まで5代32年、東晋以来の江南王朝は273年で北朝に統一された。

献俘と論功行賞

  • 晋王広は凱旋し、隋主は驪山で出迎え、陳叔宝以下を太廟に献俘した。晋王広は太尉に、楊素は越国公、賀若弼は宋国公に封じられた。
  • 韓擒虎は軍紀の乱れ(建康での陳宮での不行跡)を咎められ封爵を得られず、賀若弼と功を争ったが、隋主は両者をなだめた。
  • 高熲は上柱国・斉公に進み、隋主から篤い信任を得た。孔範・王瑳ら陳の佞臣は流刑に処された。
  • 陳叔宝は隋都で優遇されたが「全く心肝が無い」と評され、飲酒に耽る日々を送った。任忠・江総らは官職を得たが、隋主は任忠の不忠(衛の弘演の忠義と比較)を批判しつつも登用した。周羅睺は富貴を固辞し謙虚な態度で隋主の称賛を得た。

高熲と李徳林の確執

  • 賀若弼が功を誇り「御授平陳七策」を献じたが隋主は受け取らず窘めた。高熲は李徳林への論功を阻み、李徳林は左遷の末に病死した。李君才が高熲を弾劾したが、隋主の怒りを買い処刑された。

隋主の猜疑と江南の再蜂起

  • 平陳後、隋主は猜疑を強め、些細な過失も重罰に処すようになった。高熲や馮基らの諫言でやや反省したが、なお群臣を譴責した。
  • 江南では旧政を急激に改めたことへの反発から、高智慧(越州)・沈玄懀(蘇州)らが「もう五教を誦まされずに済む」と叛乱を起こし、多くの州県が動揺した。楊素が南征し、麦鉄杖の活躍もあって沈玄懀を討ち、来護児の水戦で高智慧を撃破。智慧は閩越に逃げたが捕らえられ処刑された。史万歳も陸路から転戦し賊を掃討した。

冼夫人の再びの功績

  • 楊素の北帰後、番禺の夷人王仲宣が広州を包囲する反乱を起こした。冼夫人は孫の馮盎を派遣して賊将陳仏智を討たせ、隋の裴矩と協力して仲宣を撃退。冼夫人自ら巡撫に加わり嶺南諸州を安定させた。
  • 隋は馮盎を高州刺史、冼夫人を譙国夫人に封じ、六州の兵馬を動かせる特権を与えた。冼夫人は子孫に「ひたすら天子に忠を尽くせ」と教え諭し、後年、俚獠を鎮撫し貪官を弾劾するなど嶺南の安定に尽くし、仁寿初年に没して誠敬夫人と諡された。

(詩:幾度も賊を平らげ奇功を挙げ、嶺表に仁を広め万人が称える。「南北史」の中に確かな一席を占め、女性だからと侮ってはならない)

隋朝のその後の顚末は次回。

評語

  • 隋文帝の陳平定は晋武帝の呉平定と似るが、陳の滅亡は呉よりむしろ蜀漢に似ている。劉禅の「蜀を思わず」と叔宝の「心肝の無さ」が類似し、劉禅の降伏になお北地王諶の抵抗があったように、叔宝の降伏にも岳陽王叔慎の殉節があった。北地王諶の死をもって蜀は真に滅び、岳陽王叔慎の死をもって陳は真に滅んだ、と言うべきである。
  • 冼夫人は国境を守り、叔宝の書状を受けて首領たちと慟哭した。婦人でありながら忠義を弁えていたことは、恬然と隋に膝を屈した官吏たちを恥じ入らせるものである。その後、民のために隋使を迎え、番禺の乱の平定を助け、裴矩と共に嶺南を治めたことで、嶺南は兵禍を免れた。これは冼夫人の功績によるものである。巾幗(女性)をもって須眉(男子)を励ますという著者の深意がここに込められている。