南北史演義第033回 両国が交兵し斉師が屢挫け、十王が駢戮され蕭氏が相残う (兩國交兵齊師屢挫 十王駢戮蕭氏相殘)

蕭諶の誅殺

  • 簒奪の功臣中領軍蕭諶は、揚州刺史の約束を反故にされ不満を漏らしていた。蕭鸞は猜疑深く、諶の言動を密偵させていたが、魏の侵攻中は諶の兄弟(司州を守る蕭誕・蕭誄)の功に免じ処断を延ばしていた。
  • 魏軍撤退後、蕭鸞は華林園の宴で諶を饗した後、敕使莫智明を送り「炊飯已熟、合甑與人」という怨言を理由に賜死を命じた。諶は死に際、自分は隆昌・海陵の粛清を伝達しただけだと恨みを述べ服毒した。
  • さらに蕭誕・蕭誄も誅殺され、無関係の西陽王子明・南海王子罕・邵陵王子貞(いずれも十五~十七歳)も連座で自尽させられた。

王晏の誅殺

  • 始安王遙光の進言で、蕭鸞は尚書令王晏への疑いを強め、密告を口実に建武四年、王晏とその弟詡・子の徳元・徳和を誅殺した。
  • 王晏は従弟思遠のたびたびの引退勧告を聞き流し、死の十日前まで自覚がなかった。外弟阮孝緒は関わりを避け連座を免れた。莫智明・陳世范という密告者たちも後に不審な死を遂げたという。

魏主宏の再南征

  • 蕭鸞は蕭坦之・徐孝嗣を用いて人心を鎮める一方、魏主宏は冀・定・瀛・相・濟五州から二十万の兵を集め再び南征。彭城王勰らを配し、自ら南陽に向かった。
  • 南陽では太守房伯玉が抵抗。魏主は使者を通じ三つの罪状(不忠・抗戦・不降)を挙げ降伏を迫ったが、伯玉の副将樂稚柔は理を尽くして拒否。攻城中、魏主は伏兵に襲われ危うく難を逃れた。

新野・南陽の攻防

  • 新野太守劉思忌は房伯玉降伏の噓にも動じず抗戦したが、統軍李佐に攻略され捕縛、降伏を拒み「寧作南朝鬼、不為北虜臣」と言い放って斬られた。
  • 魏軍南下により赭陽・舞陰の守将成公期・黄瑤起は逃走。黄瑤起はかつて王奐を殺した仇として魏の王肅に捕らえられ、王肅は父の仇として心臓をえぐり祭り、肉を食して恨みを晴らした。
  • 房伯玉はついに孤立無援となり降伏。従弟房思安の嘆願で処刑は免れた。

太倉口・楚王戍での魏の勝利

  • 裴叔業の別将魯康祚・趙公政が太倉口を攻めたが、魏の長史傅永の計略(偽の空営と淮水の目印の火)にはまり大敗、趙公政は捕虜、魯康祚は溺死した。
  • 続く楚王戍でも傅永の伏兵策により裴叔業軍は大敗し、旗鼓・装備を捨てて敗走した。傅永はこの功で安遠将軍・汝南太守に任じられ、魏主に「上馬撃賊、下馬作露布」と称賛された。

彭城・襄陽方面の齊軍敗退

  • 蕭衍・崔慧業らが彭城で魏軍に対し出撃を進言するも崔慧景が躊躇し、夜陰に紛れて独断で撤退。齊軍は総崩れとなり、傅法憲は戦死、多くの兵が橋の崩落や川で溺死した。
  • 劉山陽の機転で辛くも敗残兵は渡河し、淝城で魏軍を撃退したが、魏主は樊城の曹虎の守りに阻まれ懸瓠へ転進した。

渦陽の戦いで齊軍が大勝

  • 裴叔業は義陽への圧力を逸らすため渦陽を攻撃(囲魏救趙の策)。魏の孟表は籠城し草木の皮葉で耐え、王肅配下の傅永・劉藻・高聰が救援に向かうも裴叔業に大敗し、傅永も撤退を余儀なくされた。斬首一万・捕虜三千という齊軍の大勝となった。
  • 魏主は敗軍の将を処罰し、王肅にも義陽を捨てて渦陽救援を厳命。王肅の大軍に対し裴叔業は退却、追撃を受けて損害を出し義陽に逃げ込んだ。

蕭鸞の病と高武子孫の粛清

  • 相次ぐ敗報に蕭鸞は憂懼から病臥。高帝・武帝の子孫の成長を懸念する蕭鸞に、太尉陳顯達は取り合わなかったが、始安王遙光は積極的にこれを煽り、蕭鸞に高武の子孫を皆殺しにするよう仕向けた。
  • 遙光の真意は、蕭鸞に手を汚させて高武の血統を絶やし、いずれ蕭鸞死後にその子孫も除いて自ら帝位を得ることにあった。
  • 遙光は病臥中の蕭鸞の名を騙り、河東王鉉ら十王(十九歳から七歳まで)を一斉に殺害した。これにより高帝・武帝の封爵を受けた子孫は根絶やしとなった。
  • 遙光はさらに公卿に十王の罪状を捏造させ、大将軍に進み、建武五年は永泰元年と改元された。

王敬則の疑懼

  • 大司馬王敬則は蕭諶・王晏の粛清を見て自らの身を案じていたが、高齢(七十歳)であることから蕭鸞もひとまず放置していた。
  • しかし蕭鸞が病篤くなると、王敬則を警戒して張瓌を平東将軍・呉郡太守に任じ牽制。敬則は「平東」の名に自分を討つ意図を察して激怒した。
  • 敬則の娘婿謝朓が、敬則の子幼隆との謀議の使者を朝廷に密告したため、蕭鸞は敬則討伐を決意。会稽で報を受けた敬則は、従子公林の助言(自首)を退け、南康侯子恪を主に擁立すると称して挙兵した。
  • この報に始安王遙光は病篤の蕭鸞に、高武の残る子孫(嬰児を含む)を宮中に集めて皆殺しにするよう進言、蕭鸞も朦朧としたまま許可し、椒湯の毒殺と大量の棺の準備が進められた。

(詩:同族皆殺しの非情さと、いずれ報いを受けるであろうことを予告する内容)

評語

  • 魏主宏の二度目の南征は「忿兵」であり、忿兵は必ず敗れるとの理が示された。齊が辛うじて勝てたのは君臣が互いに疑心暗鬼で、将吏が主のために力を尽くさなかったからにすぎない。蕭諶・王晏という佐命の功臣が誅殺された結果、裴叔業・崔慧景・蕭衍らも心底冷えたであろう。心が冷えれば士気も萎え、敵に打ち勝つことなど望めない。
  • とはいえ魏軍も渦陽で大敗し、常勝の傅永さえ狼狽して退いたことは、忿兵必敗の証左である。蕭鸞は外敵に対抗できず内輪の粛清にのみ力を注ぎ、その隙に遙光が付け入って十王を屠った。かつて蕭道成が蕭鸞を用い、後に蕭鸞が遙光を用いた結果、いずれも自ら破滅の刃を他人に授けたことになる。遙光も後に誅されるが、東昏侯(寶卷)は孤立し、齊の命運が長くなかったのも当然であろう。