南北史演義第030回 上淫下烝の醜聞が宮掖に伝わり、内応外合し刃が殿庭に及ぶ (上淫下烝丑傳宮掖 內應外合刃及殿庭)
昭業の淫乱
- 隆昌と改元した昭業は即位を機にほしいままに歓楽に耽った。文惠太子の遺した寵姫の一人、霍家碧玉と密通し、宦官徐龍駒の手引きで尼にすると偽って宮中へ引き入れ、姓を徐と改めて寵愛した。
- 皇后何氏もかつて侍書馬澄と通じており、即位後は昭業の左右にいた美男楊珉と密通した。夫婦それぞれが不倫を重ねる歪んだ宮廷の様が語られる。
- 昭業は微行して市中で賭け遊びに興じ、金銭を惜しみなく浪費し、世祖以来の莫大な国庫の財宝を破壊させて喜ぶなど、放蕩を極めた。中書舎人綦母珍之らは賄賂で官職を売買し、暴利を貪った。
蕭鸞、廃立を画策
- 宦官徐龍駒が政務を代行するほどの乱脈ぶりに、宰輔の蕭鸞(西昌侯)は再三諫めたが聞き入れられず、伊尹・霍光の故事に倣った廃立を決意。蕭衍(後の梁武帝)と謀り、時機を待つこととした。
- 鸞は隨王子隆(賾の第八子、荊州刺史)の部下を懐柔して召し上げ、豫州刺史崔慧景も懐柔して外憂を除いた上で、宮中の粛清に着手した。
- 蕭坦之・蕭諶(ともに昭業の腹心)を鸞側に引き入れ、坦之を通じて楊珉を「皇后との密通」を理由に誅殺させた。皇后何氏は嘆き悲しんだが救えなかった。続いて徐龍駒も皇后への讒言を利用して誅殺させた。
- 直閤将軍周奉叔も横暴を理由に鸞の策謀で謀殺され、溧陽令杜文謙は綦母珍之に決起を促したが応じられず、間もなく自身が捕らえられ処刑された。
竟陵王子良・武陵王曅の死
- 武陵王曅が二十八歳で病没。竟陵王子良も悲嘆のうちに病を篤くし、淮水に魚が群れ集まる異兆ののち三十五歳で薨じた。子良は名士を厚く遇し、劉瓛・劉璡兄弟ら清廉な学者を庇護した逸話が挿入される。
昭業の廃殺
- 二人の柱石を失い実権は蕭鸞に集中。昭業は鄱陽王鏘や中書令何胤(皇后の従叔)に鸞の動静を尋ねたが、確証を得られなかった。
- 昭業が蕭坦之にも鸞の廃立の噂を尋ねたところ、坦之は表向き否定しつつ内心では鸞側についており、曹道剛・朱隆之ら昭業側近の動きを察知した鸞・坦之・蕭諶は先手を打って決起した。
- 蕭諶らは宮中で曹道剛・朱隆之・徐僧亮ら昭業側近を斬殺し、蕭鸞も戎装で乱入。昭業は自害を試みたが徐姫に止められ、結局蕭諶に捕らえられ、帛で首を絞められて殺害された(享年二十一、在位一年)。徐姫(霍氏)も同時に処刑された。
- 蕭鸞は徐孝嗣にあらかじめ用意させていた太后令を発布し、昭業の悪行(喪中の淫楽、閹宦の専権、内外混乱など)を列挙して廃位を正当化、文惠太子の第二子・新安王昭文(十五歳)を擁立した。昭業は鬱林王に落とされ、何皇后も王妃に格下げされた。
(詩:昭業のわずか一年の享楽と非業の死を悼む一首)
評語
- 宋の劉子業と斉の蕭昭業はよく似た存在であり、それぞれの治世に淫乱な女性(会稽公主謝貴嬪/霍寵姫何皇后)が絡む点も共通する。ただし子業ほど昭業は殺戮を好まなかった。
- 宋の湘東王彧は身の危険から已むを得ず決起したが、斉の蕭鸞は既に権勢を握りながら廃立に及んだ点で、伊尹が太甲を導いたような道はとらず、簒奪への布石としたと見るべきであり、湘東王彧の場合より罪が重いというべきである。