南北史演義第十九回 雄師を発し骨肉を惨殺し、喪具を備え妃嬙を厚葬する (發雄師慘屠骨肉 備喪具厚葬妃嬙)
宗室への猜疑と粛清
- 宋主駿は義宣の娘を淑儀として寵愛する一方、実弟たちへの猜疑を強める。武昌王渾は戯れに「楚王」を僭称したことを咎められ自殺に追い込まれる。
- 功績のあった竟陵王誕も、豪奢な邸宅や私兵の保有を理由に警戒され、次第に閑職へ移されていく。両戴一巣と呼ばれる側近(戴法興・戴明寶・巣尚之)が宋主の腹心として権勢を振るい、王僧達も讒言により冤罪で死を賜る。
竟陵王誕の反乱と広陵の陥落
- 誕は密告により謀反の疑いをかけられ爵位を落とされるが、宋主が仕掛けた奇襲計画が事前に露見し、逆に挙兵に踏み切る。宋主に上表して自らの正当性と宮中の醜聞(濬・劭の巫蠱事件を含意)を訴えるが、宋主は激怒し関係者千余人を処刑する。
- 沈慶之・宗慤らが広陵を包囲し、長期の攻防の末に落城させる。誕は捕らえられて斬首され、宋主は落城後の広陵城の住民の大量虐殺を命じる(沈慶之の諫言で幼児のみ助命)。この虐殺で三千余の首級が晒された。
直臣たちの受難と側近政治
- 佐命の功臣顔竣は、父顔延之の忠告を聞かず驕り高ぶり、後に誕の乱に連座させられ自尽を命じられる。
- 廬陵内史周朗、侍中沈懐文ら、直言を続けた臣もことごとく粛清され、朝廷では諫言する者がいなくなる。
- 側近の顔師伯は宋主に取り入り博打で利を得るなど寵愛を集め、宋主は各地の刺史から財物を巻き上げるようになり、贅を尽くした玉燭殿を築くなど奢侈に耽った。
殷淑儀の死
- 寵愛していた殷淑儀(義宣の娘)が没すると、宋主は貴妃に追冊して盛大な葬儀を行い、謝荘に哀策文を作らせ、自らも詩賦を作るほど悲しみに沈んだ(詩:淫らな寵愛の顛末を皮肉る)。
評語
竟陵王誕の反乱は『春秋』の鄭伯克段於鄢の故事になぞらえられ、誕の罪は軽いのに宋主駿の猜刻さがそれを上回り、反乱は宋主が誘発したものと評される。広陵陥落後の大虐殺は仁に反する所業として厳しく批判され、顔竣・周朗を殺し沈懐文に死を賜る一方で、義宣の娘や我が子だけを特別に厚遇したことの不公平さを指摘し、好色・好財などの失徳は既に小事に過ぎないとし、暴虐な父の下でやがて子業の淫悪がさらに酷くなることを予告する。