南北史演義第十八回 上を犯し兵を興すも一敗塗地し、叔を誅し妹を納れ天を瞞く (犯上興兵一敗塗地 誅叔納妹隻手瞞天)
南平王鑠の死と宋主駿の乱行
- 帰順が最も遅かった南平王鑠は宋主駿に忌まれ、毒殺されたと目される急死を遂げる。
- 宋主駿は好色で、路太后のもとに出入りする宗室の女性たちにまで手を出し、義宣の娘たちにも密通していた。醜聞は次第に広まっていく。
臧質の挙兵教唆と義宣の反乱
- 功に見合う恩賞を得られず不満を募らせていた雍州刺史臧質は、宋主への恨みを抱く南譙王義宣に密書を送り挙兵を促す。義宣は迷いつつも応じ、魯爽・徐遺寶らと連携して挙兵する。
- しかし連携は乱れ、魯爽は早まって単独で兵を挙げ、義宣も体裁を整えるため「清君側」を掲げて上表するが、内容の齟齬から互いに不信感を抱く。
反乱の鎮圧
- 宋主駿は柳元景を統帥に、王玄謨・夏侯祖歓・蕭思話らを差し向けて討伐にあたらせる。
- 兗州の徐遺寶、豫州の魯爽は各地で撃破され、魯爽は薛安都に討ち取られる。
- 梁山の攻防では臧質軍が敗れ、劉湛之が戦死。臧質は敗走の末、南湖に身を潜めるも発見されて射殺される。
- 義宣は敗報が続く中で統率力を失い、将兵の離反や滑稽な失態(挙兵の誓いの言葉を言い間違える)が重なって求心力を失う。最終的に江陵で捕らえられ、子とともに処刑される。連座した将佐・一族も多数誅殺された。
戦後の集権と姦通の隠蔽
- 乱後、宋主駿は荊州・揚州など大藩の権限を分割・削減し、地方の軍事力を弱めて中央集権を進める。功臣の沈慶之・柳元景も自ら身を引いて謙抑を示した。
- 宋主駿は義宣の娘の一人を寵愛して子鸞をもうけ、素性を偽って「殷淑儀」と称して後宮に迎え入れる(詩:君主の色欲による綱紀の乱れを嘆く)。
評語
義宣は反逆の当初は忠義を尽くしたが、臧質・魯爽ら軽率な者と結んで謀反に走り、身も名も失い一族を誅されたのは自業自得と評する。一方でその発端は宋主駿が義宣の娘に手を出したことにあり、乱後もその娘を「殷淑儀」と偽って寵愛し続けたことについて、女に恥なく男に行いなしと厳しく非難し、骨肉相食む禍が子孫にまで及ぶことを暗示している。