南北史演義第五回 洛陽を衝き秦将が敗没し、長安を破り姚氏が滅亡する (搗洛陽秦將敗沒 破長安姚氏滅亡)

司馬休之の討伐

  • 司馬休之の子文思が乱行を重ねたことから劉裕との関係が悪化。劉裕は自ら荊州刺史を兼ね、司馬休之討伐に向かう。
  • 江夏で徐逵之ら劉裕方の将が魯軌の伏兵に敗死し、劉裕は激怒して自ら陣頭に立つが、謝晦らに諫められる。胡藩の献策で断崖を登り奇襲に成功し、魯軌・司馬文思を撃破。休之・魯宗之らは後秦へ亡命する。

後秦討伐の発令と諸将の進軍

  • 劉裕は後秦(姚萇・姚興・姚泓と続く政権)が亡命者を匿ったことを口実に西征を決意。王鎮悪・檀道済・沈林子・沈田子・傅弘之・王仲徳ら諸軍を分けて出撃させ、自らも彭城を経て西進する。
  • 各軍は許昌・洛陽方面で連戦連勝し、北魏へは仮道(通行の許可)を求める外交交渉も行われる。魏の崔浩は「晋軍を妨げれば矛先が魏に向く」と進言し、魏は黙認する。

洛陽攻略

  • 後秦の姚洸が洛陽を守るが、内応する司馬姚禹の策動もあって晋軍が優勢に立つ。忠臣の趙玄・蹇鑒は力戦の末に戦死するが、姚洸は降伏し洛陽は陥落。檀道済は降兵を殺さず釈放し、秦人の信望を得る。

後秦の内紛(姚懿・姚恢の乱)

  • 後秦では姚懿・姚恢が相次いで反旗を翻すが、いずれも鎮圧される。身内同士の争いにより秦軍は消耗する。

潼関・蒲阪の攻防と魏軍との衝突

  • 王鎮悪・檀道済・沈林子らは潼関・蒲阪で秦の姚紹・姚鸞らと激戦し、これを撃破。北魏の長孫嵩らが黄河北岸から晋軍を妨害するが、丁旿・朱超石らの戦車陣(「白捽」)により大敗させる。
  • 沈田子・傅弘之は寡兵で秦主姚泓自らの大軍を青泥で撃破する大戦果を挙げる。

長安陥落、後秦滅亡

  • 王鎮悪は渭水を遡って長安に迫り、退路を断つ覚悟(船を流す)で決戦を挑み秦軍を撃破。姚泓は降伏し、その子仏念は自ら命を絶つ。
  • 劉裕は長安に入城し、王鎮悪の功を称える。姚泓や投降した姚氏一族は建康に送られ処刑され、後秦は滅亡する。(詩:わずか数年で滅んだ後秦の末路を詠う)

評語

語り手は、司馬休之には格別の罪はなく息子文思に連座して禍を受けたに過ぎないと同情を示す。後秦主姚泓については、孝行で寛容な人柄でありながら内紛と外征に挟まれて滅んだ「守文の主」であったと評す。王鎮悪・沈田子らの功績を認めつつも、その最期が趙玄・蹇鑒のような忠義の臣に及ばないことを惜しみ、「良臣は主を択ぶ」の理を説いて結ぶ。