南北史演義第四回 火攻めで盧循の賊船を破り、奇策で譙縦を平定する (毀賊船用火破盧循 發軍函出奇平譙縱)

盧循軍の攻勢と番禺急襲策

  • 盧循・徐道覆は建康周辺を攻撃するが劉裕軍に阻まれ、各地で撃退される。劉裕は太尉中書監に任じられ、水軍を増強して盧循の本拠地番禺を海路から奇襲する計を立て、孫処・沈田子を先発させる。
  • 盧循は蜀の譙縦・後秦とも連携を図るが、劉道規が荊州で桓謙・苟林の残党を各個撃破し、徐道覆の別動隊も豫章口で撃退する。

大雷・左裡の火攻めで盧循軍壊滅

  • 劉裕自ら南下し、大雷で盧循・徐道覆の大船団を火攻めで撃破。両者は尋陽・豫章へ逃れるが、左裡でも柵を突破されて壊滅的打撃を受ける。

盧循・徐道覆の最期

  • 番禺は先に孫処・沈田子らに占領されており、盧循は帰る場所を失う。徐道覆は始興で孟懐玉に討たれ、盧循も嶺南各地を転戦の末、交州で杜慧度に追い詰められ、妻子・妓妾を手にかけたのち入水自殺する。反乱はここに平定される。

劉毅の粛清

  • 荊州刺史となった劉毅は驕慢さを増し、劉裕への不満を募らせる。劉裕は側近胡藩の懸念を受けつつも当初は静観するが、劉毅が劉藩の兗州昇任に反発して謀反の疑いを強めると、劉藩・謝混を処刑し、王鎮惡らに江陵を奇襲させて劉毅を自害に追い込み、一族も誅殺する。

諸葛長民の粛清

  • 諸葛長民は劉毅誅殺の報に危機感を抱くが、劉穆之に懐柔されて油断したところを劉裕に呼び出され、密殺される。弟や従弟も次々に処刑される。

朱齢石の蜀平定(錦函の計)

  • 劉裕は朱齢石を益州刺史に任じ、密封した錦の書状を白帝城で開けるよう命じる。中身は外水経由で成都を突くという奇策で、譙縦の予想を裏切って蜀軍を撃破。譙縦は自害、一族も掃討され蜀は平定される。(詩:錦函の計略の妙を詠う)

評語

語り手は、盧循・徐道覆・譙縦のいずれも劉裕でなければ討てなかったと評し、劉裕の智略を称える。一方で劉毅・諸葛長民の粛清は公事を装いつつ実質は私怨によるものであり、その手際の速さは司馬昭の簒奪の予兆にも通じると批判的に結んでいる。