南北史演義第二回 義兵を起こし入京して逆賊を討ち、御駕を迎え功績で加封される (起義師入京討逆 迎御駕報績增封)

挙兵、桓修・桓弘の討伐

  • 劉裕は何無忌ら二十余名の同志と共に丹徒で挙兵。何無忌が勅使を装って桓修を斬殺し、劉裕は府署を接収して民心を鎮める。
  • 孟昶・劉道規は広陵で桓弘を謀殺し、劉裕軍に合流。徐州司馬刁弘の軍には偽情報で撤退させる。
  • 建康に潜伏していた協力者(王元徳・辛扈興・童厚之ら)は、劉毅の兄劉邁の躊躇により連絡が遅れ、逆に桓玄に密告される形となり処刑される。

建康占領、桓玄の敗走

  • 桓玄は呉甫之・皇甫敷を先鋒に迎撃させるが、いずれも劉裕軍に敗死。桓謙・卞范之の主力軍も覆舟山で火攻めにより壊滅する。
  • 桓玄は安帝を伴って建康を脱出し、江陵、さらに逃走を続ける。劉裕は建康に入城し、安民の布告を出して桓氏の宗廟を廃し晋の神主を復す。
  • 劉裕は多くの将軍を都督・刺史に任じ、内政は劉穆之に一任する。(檄文の内容は誇張が多く、実際に呼応した者は少なかったと語り手は指摘する)

桓玄の死

  • 桓玄は江陵から安帝を連れて東下するが、崢嶸洲で劉毅・何無忌・劉道規らの火攻めに遭い大敗、江陵へ逃げ戻る。
  • 荊州でも人心を失い蜀へ逃れようとするが、益州の毛脩之の計により馮遷らに討ち取られる。首級は江陵に送られ、桓氏一族も次々誅殺される。

両桓残党の掃討、安帝の還都

  • 桓玄の甥桓振が江陵を奇襲して奪還し、一時安帝を弑そうとするが桓謙に止められる。劉裕方は何無忌・劉道規らを派遣して再度江陵を攻略し、桓振も討たれて桓氏の勢力はほぼ絶える。
  • 安帝は義熙と改元し、建康へ帰還。劉裕・劉毅・何無忌・劉道規らに大きな官爵が与えられるが、劉裕は繰り返し高位を固辞し、外鎮への任官を望む。

論功行賞と劉毅への警戒

  • 劉裕は都督八州から荊州方面の都督へと転じ丹徒に戻る。劉毅・何無忌・劉道規らにもそれぞれ要職が与えられる。
  • 劉敬宣はかつて劉毅の器量を評して「非常の材ながら度量に欠け、得志すれば災いを招く」と語っており、これが後の伏線となる。劉毅はこの後、驕慢さを増していく。(詩:驕り高ぶれば災いを招くと戒める)

評語

語り手は、桓玄の乱こそが劉裕の台頭を招いたのであり、桓玄がいなければ劉裕の栄達もなかったと評する。劉裕は王莽・司馬懿の類の梟雄だが、桓玄が愚かであったからこそ功名を成し得た。安帝還都の際、劉裕が功を誇らず再三辞退した態度についても、周公の謙譲と王莽の謙恭を引き合いに、その真意を測りかねると結んでいる。