明史演義第九十五回 張献忠、熊文燦に偽降す/楊嗣昌、盧象昇を陥没せしむ (張獻忠偽降熊文燦 楊嗣昌陷歿盧象昇)

温体仁の専横と閣臣の頻繁な更迭

  • 崇禎三年から九年の六年間、入閣した多くの閣臣がすぐに退けられた原因は、首輔温体仁の排他的な権謀にあった。門生の銭象坤も附和しないと見るや排斥し、周延儒も陰謀で失脚させた。侍郎劉宗周は温体仁を暗に批判する上奏を重ね、削籍された。

温体仁の失脚

  • 常熟の張漢儒が温体仁の意を受けて銭謙益を訐奏したが、謙益は司礼監曹化淳に助けを求めた。温体仁は化淳まで巻き込もうとしたが、化淳が帝に直訴したことで温体仁・張漢儒の朋比奸謀が露見。漢儒は処刑され、温体仁は免官後まもなく病死した。

楊嗣昌の登用と十面の網・四餉策

  • 懐宗は多くの凡庸な閣臣を経て楊嗣昌を兵部尚書兼東閣大学士に起用。嗣昌は「四正六隅・十面の網」の討伐策と、因糧・溢地・開捐・裁駅の四餉策を上奏し、懐宗はこれを裁可した。

熊文燦の登用と招撫策

  • 嗣昌の推薦で熊文燦が総理に起用される。文燦は酒席での失言をきっかけに討伐を任され、廬山の空隠禅師に「自分に賊を制する力はない」と見抜かれながらも赴任。左良玉の軍を直属としようとしたが、良玉はこれに服さず、文燦は襄陽に入った。

高迎祥の刑死と献忠・自成の偽りの投降

  • 高迎祥は陝西巡撫孫伝庭に捕らえられ処刑され、李自成が新たな闖王となる。自成は洪承疇に大敗し妻子も失う。張献忠は左良玉・陳洪範に敗れて負傷し、旧知の陳洪範を通じて熊文燦に降伏、穀城に屯駐した。羅汝才(曹操)も降伏したが、両者とも力を蓄えるための偽装にすぎなかった。

清軍の侵攻と済南陥落

  • 清太宗は多爾袞・岳託を大将軍として長城を越えて侵入。薊遼総督呉阿衡は敗死、孫承宗は服毒自殺し子孫も奮戦の末に討ち死にした。清軍は南下して済南を陥落させ、徳王朱由枢は捕えられ、布政使張秉文は自刎、妻妾は入水して殉じた。

盧象昇の主戦論と孤立

  • 楊嗣昌・高起潜が和議を進める中、盧象昇は父の喪中にもかかわらず出陣し、懐宗の前で主戦を主張。嗣昌と激しく対立し、兵権を分けられるが寡兵のまま清軍に対抗を強いられ、嗣昌の妨害で兵糧の補給も絶たれる。

盧象昇の戦死

  • 巨鹿で兵五千に減った象昇は将士に決死の覚悟を語り、援軍を求めて楊廷麟を派遣するが間に合わず、清軍に包囲される。総兵王樸は逃亡し、虎大威・楊国柱と共に奮戦するも矢が尽き、象昇は敵陣に斬り込んで壮絶な戦死を遂げた。楊廷麟が遺骸を収めて上奏したが、嗣昌は敗報を隠し、後に象昇の戦死を軽視する報告をしたため懐宗は弔典を与えなかった。高起潜は後に擁兵不救の罪で処刑された。

孫伝庭の下獄

  • 洪承疇が薊遼総督、孫伝庭が保定・山東・河北総督となるが、嗣昌に疎まれた伝庭は引退を願い出て逆に讒言され、下獄・削籍された。清兵は掠奪後に撤退し、明の命脈はなお五、六年保たれることとなった。

評語

  • 小人が国政を握れば忠良は無残に死に、国運は速やかに滅びると詩に託して嘆いている。