明史演義第八十七回 魏忠賢喜んで点将録を得る/許顕純濫りに非法の刑を用う (魏忠賢喜得點將錄 許顯純濫用非法刑)
萬燝の死と林汝翥事件
- 廷杖を受けた萬燝は数日後に息を引き取った。魏忠賢は続けて御史林汝翥を狙い、汝翥は城外へ逃れたため一党は葉向高の邸に押しかけて騒ぎ立てた。向高は激怒して抗議し、熹宗は一応取り成したが、汝翥は結局自ら出頭し廷杖を受けた。
- 向高は政局の悪化を悟り辞職を重ねて帰郷、後に没後太師を追贈された。
東林党の孤立と魏廣微の裏切り
- 向高退任後に首輔となった韓爌も忠賢と対立して罷免され、吏部尚書趙南星が東林の重鎮として残るが、旧友の魏廣微が忠賢に阿附して南星と絶交、南星を陥れる側に回った。
崔呈秀の取り込みと東林弾圧の拡大
- 巡按御史崔呈秀は汚職を高攀龍に暴かれ罷免の危機に陥ると、魏忠賢に賄賂を贈って義子となり、南星・攀龍への讒言を重ねた。人事をめぐる争いを口実に、忠賢は矯旨で魏大中・夏嘉遇を左遷し、趙南星・高攀龍を辞職に追い込んだ。左光斗・楊漣らも次々と削籍され、朝廷の実権は完全に魏閹の手に落ちた。
『點將錄』と忠賢による弾圧リスト
- 崔呈秀の復官運動を経て、閣臣顧秉謙・魏廣微は東林派を「邪党」とする『縉紳便覧』を編み、呈秀はさらに『同志録』『天鑒録』を献上。王紹徽は東林人士を梁山泊の賊に見立てた『點將錄』を編纂し、忠賢はこれを愛読して弾劾の道具とした。
- 忠賢配下は「五虎」(崔呈秀ら)「五彪」(田爾耕・許顯純ら)「十狗」などと呼ばれる一大党派を形成し、崔呈秀は兵部尚書兼左都御史にまで昇った。
汪文言の獄と六君子の死
- 神宗末年からの宣昆・斉・楚・浙の四党と東林党の対立を背景に、東林に近い汪文言が阮大鋮らの讒言で投獄され、許顯純による過酷な拷問を受けた。文言は楊漣・左光斗らへの誣告を拒み通し、最後は獄中で殺されて偽の供述書が捏造された。
- この偽供述をもとに楊漣・左光斗・魏大中・袁化中・周朝瑞・顧大章の六人が投獄され、拷問に耐えかね一旦は罪を認めたものの正式な裁判に移されぬまま獄死。楊漣・左光斗・魏大中は獄卒により惨殺され、顧大章は自ら命を絶った。世にこの六人は「六君子」と呼ばれた。
連座と熊廷弼の処刑
- 左光斗の兄は連座で自殺、母は悲嘆のうちに没し、魏大中の子・学洢も父の死を悲しみ喪に服す中で命を落とした。趙南星・李三才も削籍のうえ追徴され、南星は流刑先で没した。
- 忠賢を諫めようとした吏部尚書崔景榮や閣臣魏廣微も更迭され、代わりに周如磐・丁紹軾・黄立極・馮銓らが取り立てられた。丁紹軾・馮銓は熊廷弼と旧怨があり、これを機に廷弼は処刑され晒し首にされた。共犯とされた王化貞はむしろ赦免され、廷弼の子は追徴に耐えかねて自刎、廷弼を弁護した者まで処罰された。
評語
- 巻末の詩は、魏忠賢に逆らう者は死に従う者は生きるという理不尽な力学のもとで大獄が作り上げられた様を嘆き、歴代正史二十四史を見渡してもこれほどの横暴は例がないと断じる内容。