明史演義第八十六回 趙中丞、妖寇を蕩平す/楊都諫、権奄を糾劾す (趙中丞蕩平妖寇  楊都諫糾劾權閹)

朱燮元の丁憂と徐鴻儒の乱

  • 燮元は父の訃報を受けて喪に服すため辞職、閔夢得が後任となった。奢崇明・安邦彥は兵力を消耗し一時休戦となる。
  • 山東では白蓮教(聞香教)の流れをくむ徐鴻儒が挙兵。教主王森の遺財を継いだ子・好賢や于弘志と連携し、天啟二年八月に同時蜂起を企てたが計画が露見し、鴻儒は単独で先んじて挙兵、巨野などを占領して「中興福烈帝」を僭称した。

山東の官軍による討伐

  • 鄆城が無血で陥落するなど山東各地が動揺したが、巡撫趙彥は乏しい兵餉の中で鄉勇を募り、楊国盛・廖棟らを派遣して鄆城・巨野を奪還した。
  • 鴻儒軍は運河の糧船を襲うなどしたが姚文慶らに撃退され、曲阜攻めも知県孔聞禮の防戦で失敗。楊肇基が山東軍の指揮を任され、副使徐従治の献策(弱点を突く戦術)により武邑・艾山の別動隊を撃破した。
  • 燮元不在の中、趙彥・楊肇基は嶧山の敵主力を急襲して壊滅させ、鄒県・滕県を包囲。ついに鄒県は開城し鴻儒は捕らえられて磔刑に処された。王好賢も後に捕縛され処刑され、乱は七か月で鎮圧された。趙彥は兵部尚書に昇進し、殉節した孟承光の顕彰も行われた。

楊漣による魏忠賢弾劾

  • 魏忠賢は東廠を掌握し田爾耕・許顯純ら腹心を用いて忠良な官員を弾圧していた。左副都御史楊漣はこれに耐えかね、魏忠賢の二十四の大罪を列挙して弾劾した。
  • 弾劾の内容は、詔勅の私物化、顧命大臣の排除、忠臣の迫害と奸党の重用、人事権の壟断、後宮の女性(馮貴人・裕妃ら)への迫害疑惑、王安殺害、私邸造営の僭越、一族への濫恩、拷問による威圧、東廠を私怨に用いたこと、内操(宮中私兵)創設の危険、行幸の際の僭越な儀仗など、多岐にわたる。

魏忠賢の対応と諸臣の連続弾劾

  • 忠賢は客氏を通じて熹宗に泣訴し、閣臣魏廣微に楊漣を叱責する詔を作らせた。楊漣が直接奏上しようとしても朝議は阻まれ、廷臣たちは次々と忠賢弾劾の上奏を連ねたが、いずれも無視された。
  • 葉向高・翁正春は忠賢を私邸へ退かせるよう求めたが聞き入れられず、工部郎中萬燝は直言したことで矯旨により廷杖百下を科され、瀕死の重傷を負った。

評語

  • 巻末の詩は、本来士大夫には及ばないはずの刑罰を権宦・魏忠賢が縉紳に対して恣に用いている現状を嘆き、明朝の廷杖の惨状を目の当たりにして奸人を討つ剣がないことを痛憤する内容。