明史演義第七十二回 莽男子、深宮に闖入す/賢法司、力めて成案を翻す (莽男子闖入深宮  賢法司力翻成案)

高拱、詔により罷免される

  • 高拱が朝廷で聞かされた詔は、彼が権力を専断し幼帝を軽んじたとして即刻帰郷を命じるものだった。これは新たに司礼監となった馮保が伝えたもので、高拱は驚愕のあまり立ち上がれぬほどであった。
  • 高拱は失意のうちに帰郷。張居正・高儀は留任を願ったが許されず、まもなく高儀も病死し、張居正が単独で首輔の座に就いた。

張居正の権勢確立

  • 張居正は次々と昇進し、少師にまで至った。穆宗の廟号・尊号の議定も主導し、陳皇后・李貴妃をそれぞれ仁聖皇太后・慈聖皇太后とした。
  • 慈聖太后は神宗の教育に厳しく関わり、張居正は経筵の充実や『帝鑑図説』の進呈などにより信任を深めた。

王大臣事件

  • 元宵節の翌朝、無髭の男(王大臣)が刃物を持って宮中に侵入し捕縛された。取り調べで元は戚継光配下の兵であったと判明。
  • 馮保は張居正と謀り、この事件を利用してかつての政敵である高拱(および馮保の政敵陳洪)を陥れようと画策。獄卒の辛儒を使い、王大臣に「高拱に指図された」と偽証させ、蟒服や刀剣まで用意して物証を偽装した。
  • この企みにより高拱の家僕が捕らえられ拷問を受けるなど、京中で大きな騒動となった。

冤罪の露見

  • 吏部尚書楊博は事の理不尽さを張居正に諫言。大理寺少卿李幼孜、御史鍾継英らも高拱の弁護に動いた。
  • 都御史葛守礼と楊博が張居正邸を訪れ強く諫めた際、張居正が示した「東廠の口書」に後から書き加えられた形跡(「歴歴有拠」の四字)があることを楊博が見抜き、暗に張居正の関与を悟った。
  • 二人の説得を受け、張居正は勲戚の朱希孝・葛守礼・馮保による再審を上奏。朱希孝は楊博に相談し、密かに校尉を使って王大臣を尋問させ、辛儒による偽証教唆の全貌を聞き出した。

再審と真相

  • 法廷での再審で、王大臣は高氏の家人を見ても誰も見分けがつかず、逆に「お前(馮保)が差し向けたのだ」と口走ってしまう。馮保は狼狽したが、朱希孝がその場を取り繕った。
  • 馮保は事の露見を恐れ、王大臣に毒入りの酒を飲ませて口をきけなくした。
  • 宮中の古参宦官らが高拱の潔白を訴え、事件はうやむやのまま王大臣のみが処刑されて幕引きとなった。
  • 高拱はその後隠棲し、萬暦六年に病没。張居正は死後に高拱の官位回復を上奏し、馮保の反対で恩賞は半減されたものの、後年太師を追贈され諡「文襄」を賜った。

評語

末尾の詩は、同僚として協力すべきところを器量の狭さから互いに容れなかった高拱と張居正の関係を惜しみ、賢臣の存在がなければ危うく高拱は命を落とすところであったと結んでいる。