五不可の疏と廷杖
- 孟飬浩、字は義甫、湖廣咸寧の人。萬厯十一年(1583年)の進士。行人に任じられ、戸科給事中に抜擢され、左給事中に遷った。
- 帝が李獻可を厳しく譴責すると、飬浩は疏して諫めた。
- 人臣がたとえ狂悖に至っても、あえて君を侮る者はいない。陛下はまさか本当に侮ったからと罪されるのではあるまい。獻可は礼科に上ったばかりで、にわかに大典を議し、一字の誤りはもとより無心から出たことなのに、たちまち公然と斥けられた。臣は愚かながら、五つの不可があると考える。
- 元子は天下の本であり、豫教の請いは実に宗社のための計である。陛下は聴かれないばかりか、そのうえ罰せられた。これは坐したまま元子が学を失うのを忍び、宗社を破れ箒のように扱うものである。不可の一。
- 長幼の序が定まっていることは詔で厳然としており、天下の臣民はすでに陛下に他意なきことを了解している。しかし豫教と冊立はもともと別の事ではない。今日すでに豫教で逡巡されるなら、どうして来年、冊立で揺らがないと言えようか。これは重ねて天下の疑いを開くものである。不可の二。
- 父子の恩は天性に根ざす。豫教の請いが元子に益あることはきわめて明らかなのに、陛下はこれを罪された。慈愛を示す道ではない。不可の三。
- 古には裾を引き欄干を折る(強諫する)ことがあり、中人程度の君主でもこれを容れた。陛下の度量は天地に等しいのに、なぜ宗社の大計に言及すると、かえって震怒して打ち挫かれるのか。天下万世は陛下をどのような君主と言うであろうか。不可の四。
- 獻可らの論は二三の言官の私言ではなく、実に天下の臣民の公言である。いま獻可を罪するのは、罪する相手は一人でも、実は天下の人心を失うことである。不可の五。
- 願わくは陛下、成命を撤回し、速やかに豫教を行われたい。
- 帝は大いに怒って言った。「冊立は明年に挙行すると諭してある。飬浩は君を疑い衆を惑わすもので、まことに憎むべきである」と。錦衣衛に命じて杖百に処し、削籍して庶民とし、永く登用しないこととした。内外から交々推薦があったが、いずれも握りつぶされた。
- 光宗が立つと太常少卿に起用され、半年のうちに南京刑部右侍郎まで遷ったが、着任しないうちに没した。