明史卷二百十 列傳第九十八 董傳䇿

嚴嵩の六罪

  • 董傳䇿は字を原漢といい、松江華亭の人。嘉靖二十九年(1550年)の進士。刑部主事に任じられた。
  • 嘉靖三十七年(1558年)、上疏して大学士の嚴嵩を弾劾した。嚴嵩は悪に慣れて国を誤っており、陛下がその奸を見抜いておられぬはずはない、ただ輔政の職ゆえに寛大に扱って自省させておられるのに、嚴嵩は平然として戒めを知らず、恩に背くことがいよいよ深い。位に一日あれば天下は一日の害を受ける、と説き起こして六つの罪を挙げた。
  • 罪の一、辺防を壊したこと。辺疆の督撫・将帥が士卒の死力を得るには財用が要るのに、諸辺の軍糧は毎年百万を費やしながら、その半ば以上が嚴嵩への賄賂となり、軍士は飢えて疲れ、寇賊は深く侵入している。
  • 罪の二、官爵を売ったこと。吏部・兵部は選考の名簿を持って嚴嵩のもとへ行って記入させ、文選郎の萬寀と職方郎の方祥は下僕同然に指図に従い、都では俗に「文の管家・武の管家」と呼ばれている。
  • 罪の三、国用を蝕んだこと。侍郎の劉伯躍は用材の採取で地方を回った際、勝手に民財を徴収し、郡縣の贓罪の金とともに嚴嵩の家へ運び込むことが絶えなかった。その他、役人が搾取し掠め取って嚴嵩に献じたものは数えきれない。嚴嵩の家の私蔵は国庫より豊かである。
  • 罪の四、罪人をかばったこと。趙文華が罪を得て放逐された際、嚴嵩はその財嚢を没収しながら、人を付けて南へ送らせ、州縣を恫喝して民夫を私に使役し、道中の駅を騒がせて公私に費用を強いた。
  • 罪の五、駅伝を騒がせたこと。天下の藩司・臬司の諸官が季節ごとに贈る品は千を数え、勢い民から搾らざるをえない。民の財は日ごとに尽き、嚴嵩の資産は日ごとに積まれ、水陸の舟車で郷里へ運ぶのに空いた日がなく、行く先々で供応を要求する有様は虎狼のようである。
  • 罪の六、人材を壊したこと。嚴嵩は長く重権を握り、その勢いは熱く、恥知らずの猟官の徒が群がり集まり、士風は日ごとに薄れ官の戒めは日ごとに失われた。
  • そのうえで、嚴嵩は欺きによって専権を行い、生殺与奪を意のままにし、世蕃はまた無頼の子として威を盗んで悪を助け、父子が凶暴をほしいままにして内外は憤りを飲んでいる。かかる臣は国法の容れるところではない。陛下が嚴氏を惜しまず天下に謝されるなら、臣もまた一死を惜しまず権奸に謝そう、と結んだ。
  • 上疏は詔獄に下され、南寧へ流された。
  • 穆宗が立つと召されて旧官に復し、郎中を歴任した。隆慶五年(1571年)、累進して南京大理卿となり、工部右侍郎に進んだ。萬曆元年(1573年)に禮部へ移ったが、言官に人から賄賂を受けたと弾劾されて免ぜられ帰郷した。下の者への取り締まりが厳しすぎ、ついに家奴に殺された。