李鑑の獄と席書
- 杜鸞は字を羽文といい、陝西咸寧の人。正徳末年の進士で、大理評事に任じられた。嘉靖の初め、闕に伏して大礼を争い午門の外で杖たれた。
- 長沙の盗である李鑑が父の華とともに村を劫し、華は誅されたが鑑は逃れた。のちにまた劫を働いて捕らえられた。席書は当時湖廣を巡撫しており、知府の宋卿が故意に鑑を罪に入れたと弾劾した。帝が大臣を遣わして按じさせると、鑑には盗の状がありますと言う。帝は鑑を京に逮らせた。書は上言し、臣は議礼で朝臣に忤い、問官はもとより臣と相容れません、法司に敕して会官のうえ覆審させられたい、と述べた。
- そこで鸞は御史の蘇恩とともに再訊したが、供述に異なるところはなかった。疏を上げて述べた。書は宋卿を憎むゆえに鑑のために弁じ、しかも議礼を持ち出す。そもそも大礼の議は聖孝から発したもので、書はたまたま一言が御意に当たっただけである。それを援いて陛下を挟み群僚を圧し、政体を壊乱する。これほど甚だしいことはない、と。帝は書の意に重ねて逆らいかね、結局鑑を死から免じて遼東に戍らせた。
- のちに張寅の獄が起こり、鸞は刑部郎中の司馬相・御史の髙世魁とともにその文書を掌った。鸞は上言した。さきに李鑑の獄で陛下は席書の言に徇い、恩を誤り法を廃された。権倖はそれ以来、獄を鬻ぐのを常とし請託に憚りがない。そして今また勛の謀が成った。書は議礼で怨みを招いたと言い、勛もまた議礼で怨みを招いたと言う。書は鑑を殺して臣を仇とするのだと言い、勛もまた寅を殺して臣を仇とするのだと言う。聖聰に簧鼓すること一つの口から出たようである。陛下の尊親の盛典を奸邪の身を掩う深謀とし、賄賂を公行させ乱賊を相次がせるのは、聖朝の福ではない、と。まもなく桂萼らが力めて前の獄を覆し、鸞は除名に坐した。
- 初め、書が李鑑を寛にしようとしたとき、給事中の管律が言った。近ごろ言事する者は毎度議礼を借りて言辞とする。休を乞い、罪を引き、人のために弁じ訴えるのは、議礼とはもともと関わらないのに、動もすれば援き引いて牽き附けるのはなぜか。思うに小人が人を中傷しようとするとき、これでなければ陛下の怒りを激せられず、自ら寵を固めようとするときも、これでなければ陛下の歓心を得られないからである。今後、言事する者は事に拠って直ちに陳べ、仮り借りて聖徳を累わすことのないよう誡められたい、と。帝はその言を是とし、都察院に命じて百官に暁示させた。
- 二日を越えて、御史の李儼が、世廟が成ったので議礼で罪を得た諸臣を恤み録するよう請い、あわせて是非を詳らかに察し、議礼が是で行事が非の者は是で非を掩わず、議礼が非で行事が是の者は非で是を掩わぬようにすれば、党与はすっかり消え、時に争いなく、太公の治となる、と述べた。
- ほどなく給事中の陳臯謨もまた述べた。獻皇帝追崇の礼はまことに陛下の至情から出たものなのに、書らはこれを貪って己の功とし、互いに党み援け、喜怒を恣にして福を作し威を作す。李鑑父子の成案は昭然としているのに、書は曲げて申し救い、衆は議礼で臣を憾んで鑑を陥れ死なせようとしているのだと言う。議礼は朝廷の公けの典であり、合おうと合うまいと、どうして深い讐に至ろう。たとえ書を讐としても、鑑は書の子弟でも親戚でも交遊でもない、なぜこれを讐とするのか。郭勛が奸人に党み庇って請託した事が露れると、また奸人に代わって妄りに訴え、やはり議礼が衆の怒りを激したのだと言い立てる。恩を濫にし法を廃するまで已まぬとは、大いに異とすべきではないか。速やかに書と勛を斥け鑑を重典に置き、勛の請託の事を窮め按じて、権奸は恃むに足らず国法は干すべからざることを人心に暁然と知らしめ、しかるのちに逆節はひそかに消え倖門は永く塞がるであろう、と。帝は聴かなかった。