明史卷一百四十六 列傳第三十四 陳旭
出自と靖難
- 陳旭は全椒の人。父の彬は太祖に従って指揮僉事となり、陳旭が職を嗣いで會州衞指揮同知となった。城を挙げて燕に降り、灤河の巡撫に従って功が多かった。
- 真定を力戦して守った。徳州の盛庸の兵が至ると城を棄てて走ったが、罪を問われなかった。京師入りに従い、雲陽伯に封ぜられ、禄は千石。
交阯征討と死
- 永樂元年(1403年)、中都および直隸の衞所の軍馬・城池を巡視するよう命ぜられた。
- 四年(1406年)、英國公張輔の交阯征討に従って右參將となり、豐城侯李彬とともに西都を破った。軍が還ると李彬とともにそれぞれ禄五百石を加えられた。
- のち陳季擴が叛くと、また張輔に従って討伐を助けた。張輔が還ると、また沐晟の副を命ぜられた。
- 八年(1410年)、病により軍中で卒した。子が無く封は絶えた。