孫巖(附)
- 孫巖は鳯陽の人。太祖の渡江に従い、燕山中䕶衞千戸に累官して致仕した。
- 燕の軍が起こると通州守將の房勝が城を挙げて降ったので、王は孫巖が宿将であることから房勝と協同して守らせた。南軍が至って城を攻めることきわめて急で、楼も女牆もみな毀れたが、孫巖と房勝は手を尽くして防ぎ、のちには門から突出して力戦し、逃げる敵を張家灣まで追って糧船三百艘を獲た。
- 都指揮僉事に累擢され、論功では旧臣であり守城の功があるとして應城伯に封ぜられ、禄は千石。
- 永樂十一年(1413年)に開平で備え、まもなく通州に移った。私怨から千戶を椎で殺し、爵を奪われて交阯に安置されたが、のち復された。十六年(1418年)に卒し、侯を贈られ、諡は威武。子の亨が嗣ぎ、明の亡ぶまで伝わって爵は除かれた。
房勝(附)
- 房勝は景陵の人。初め陳友諒に従っていたが来帰し、功を重ねて通州衞指揮僉事に至った。
- 燕の兵が北平で起こると、房勝が真っ先に通州を挙げて降った。成祖が即位すると守城の功により富昌伯に封ぜられ、禄は千石、世襲は指揮使。永樂四年(1406年)に卒した。