明史卷一百四十三 列傳第三十一 陳思賢
陳思賢と龍溪の六生
- 陳思賢は茂名の人。洪武の末に漳州教授となり、忠孝の大義をもって諸生を励ました。部使者が漳に来て参謁するときは、必ず「聖躬はご無事か」と問うのを常とした。
- 燕王が帝位に即いた詔が届くと、慟哭して「人倫を明らかにする義はまさに今日にある」と言い、堅く臥して詔を迎えなかった。門人の伍性原・陳應宗・林珏・鄒君黙・曾廷瑞・吕賢の六人を率い、明倫堂に旧君の位を設けて礼どおりに哭臨した。役人がこれを捕らえて京師に送り、思賢と六生はみな死んだ。六生はいずれも龍溪の人である。
- 嘉靖年間、提學副使の邵鋭が祠を立てて思賢を祀り、六生を配して祀った。
台州・温州の二樵
- また台州に樵夫がいて、日々薪を背負って市に入り、値を二つ言わなかった。燕王が帝位に即いたと聞いて慟哭し、東湖に身を投げて死んだ。
- 温州の樂清にも樵夫がいて、京師が陥落し同郷の卓侍郎敬が死んだと聞き、号泣して水に身を投げた。二人の樵夫はいずれも名が伝わらない。