明史卷一百四十三 列傳第三十一 程通

程通

  • 程通は績溪の人。かつて太祖に上書して祖父の戍籍を除くことを乞い、その言葉はたいそう哀切で、ついに願いが聞き届けられた。遼府紀善に任じられた。
  • 燕師が起こると、王に従って海路で京師に帰り、封事を数千言にわたって奉り、防備の策を述べ、左長史に進んだ。
  • 永樂の初め、王に従って荆州に移ったが、以前の封事に指弾が多いと告げる者があり、械につながれて京に送られ、獄中で死んだ。家族は辺境に流された。

黄希范・葉恵仲・黄彦清・蔡運・石允常

  • あわせてその友人の徽州知府の黄希范も捕らえられ、死罪と決まり、家は没収された。
  • 葉恵仲は臨海の人。兄の見泰とともに文名があった。知縣から太祖實録の編纂に徴され、南昌府知に遷った。永樂元年(1403年)、燕兵の事をありのままに書いたことに坐して一族誅殺された。
  • 黄彦清は歙の人。國子博士の官にあった。名節をもって自ら励んだ。梅殷の軍中にあって私に建文帝に諡を奉ったことに坐して誅殺された。
  • 蔡運は南康の人。四川參政の官にあった。剛直で世俗と合わず、罷めて帰り、ふたたび起用されて賔州を知し、恵政があった。永樂の初め、やはり奸党として追論されて死んだ。
  • 石允常は寜海の人。洪武二十七年(1394年)の進士。河南僉事となり、清廉剛直で名があった。事に坐して常州同知に落とされ、建文の末に兵を率いて長江を防いだが軍が崩れて官を棄てて去った。のちに周藩を廃した事の追及を受けて獄につながれること二年、死を免じられて辺境に流された。