民國演義第一一四回 滇釁を挑み南方分裂し、露牒を得て北府疑を生ず (挑滇釁南方分裂 得俄牒北府生疑)
王揖唐と李純の確執、哈同との交遊
王揖唐は爆弾事件を江蘇督軍李純の仕業と疑い、書面で咎める手紙を送るが、李純は身に覚えがないと毅然と反論し、両者の関係はさらに冷え込む。以後王揖唐は南方との折衝に進展がないまま、上海の富豪ユダヤ人哈同と親交を深め、その庭園で遊興にふけるようになる。
西南陣営の内部分裂
広東軍政府内で滇(雲南)・粤(広東)・桂(広西)の各派閥の対立が深まる。雲南督軍唐継堯の指揮下にあった李根源をめぐり、広東督軍莫栄新が指揮権の継続を主張して対立、両省の軍が韶州・始興・英徳・四会などで武力衝突する。総裁岑春煊の調停でいったん停戦するが亀裂は残る。政務総裁の辞任や国会議長らの離脱も相次ぎ、伍廷芳・孫文・唐紹儀・唐継堯が連名で広州軍政府を批判し、別に軍政府の移設と和議継続を宣言する。広州側も唐紹儀を議和総代表から罷免し、この宣言を無効とする。四川でも督軍の交代や派閥抗争が続き、西南は分裂状態に陥っていく。
ロシア勞農政府からの通牒
ロシア勞農政府(ソビエト政権)の外交委員カラハンが、旧ロシア帝国が中国から得た権益(中東鉄路・治外法権・庚子賠款等)を無償で全面放棄すると通告してくる。政府は好機と歓迎しつつも、協約国と歩調を合わせる必要から即答を避け、駐丹代理公使を通じて真偽の確認と条件協議にあたらせる。上海の各界連合会は早期の対露交渉開始を求めるが、政府はロシア側代表が通牒の存在自体を否定したとの報告もあり、詐術を疑って慎重姿勢を崩さず、世論の突き上げに対しては逆に取り締まりを通達する。
シベリア駐屯軍の撤収と対外交渉
中国はシベリア駐屯軍の撤収を決め、対独防衛目的だった日中軍事協定はもはやロシア関連行動の義務を負わないと日本に通告する。対匈・対保・対土の講和には協約国と歩調を合わせて調印し、各国と新たに公使館を増設する。財政は借款依存が続き、英米仏日による対中新銀行団が成立し、中国財政への監督色を強めていく。そうした中、湖南でまた新たな戦端が開かれる。 (詩:革命を唱えながらも私利私欲で争い続ける現状を嘆く趣旨)
評語
利によって人々が争うという構図が繰り返される。南北の抗争、直皖の対立、そして西南内部の滇桂の反目まで、すべて利権をめぐる争いに帰着する。ロシア勞農政府が権益を無償で返還すると申し出たことは異例だが、それすら中国側は罠を疑わざるを得ないほど、当時の国際関係は互いの利害計算に支配されていたと総括する。