民國演義第一〇八回 公憤に迫られ滬商全く罷市し、総統を留めんと国会咨文を却く (迫公憤滬商全罷市 留總統國會卻咨文)

授業再開の命令と学生の抵抗

  • 罷課が十日余り続く中、政府は学業本分への回帰を求める通令を出したが、学生はこれを無視し、街頭演説団を組織して露天演説を続けた。
  • 警察は騎馬隊で聴衆を蹴散らし、演説していた学生らを北京大学の校舎内に押し込め、軍隊まで動員して学校を包囲・監視する強硬手段に出た。
  • 教職員の釈放要求にも政府は応じず、教育次長・袁希濤も板挟みの末に辞職、傅岳棻が後任となった。

上海の宣言書と罷市(商店ストライキ)

  • 六月初旬、上海で再び大規模な集会が開かれ、曹汝霖・陸宗輿・章宗祥の罷免と拘束学生の釈放を要求する宣言書が発表された。
  • 宣言書は、学生の愛国的決起をかえって政府が弾圧し、売国的な段祺瑞・徐樹錚・曹汝霖らを擁護していることを強く非難し、五月二十六日からの一斉罷課を宣言している。
  • 六月四日、警官が商人の集会を妨害したことに反発し、南市の商店が罷市(休業)に踏み切ると、租界の商店にも波及。当局が開業を強要しても商人は「商売の自由」を盾に拒み続けた。

罷市の全国波及と三名の罷免

  • 上海の外国領事らも中央に事態を報告し、政府はついに曹汝霖・陸宗輿・章宗祥の三名を罷免し、拘束学生を釈放する方針を固めた。
  • 罷免の情報はイギリス公使・朱爾典から上海駐在総領事を通じて伝えられ、確認された段階で上海は六日間の罷市を終えて営業を再開、五色旗を掲げて祝った。
  • 南京・杭州・武漢・天津・九江・山東・厦門など各地も同様に呼応しており、政府はこの全国的な圧力に押されて三名の罷免に踏み切った形となった。

徐総統の辞意表明と内閣総辞職

  • 曹汝霖の後任は次長・曾毓雋が代理、陸宗輿の後任は李思浩となった。
  • 徐総統は安福派への配慮と国民の反発の板挟みとなり、パリ講和条約の署名問題への対応を理由に参衆両院へ辞職の咨文を提出。歐州和会の経緯や南北和議の停滞、統一達成の困難などを縷々述べた。
  • 両院議長・李盛鐸、王揖唐は責任内閣制のもとでは大総統の単独辞職に法的効力がないとして慰留し、各省の督軍・省長も挙って留任を求めたため、徐は名目上残留した。
  • 一方、総理・錢能訓は辞表を出し、内閣は総辞職。半年余り続いた錢内閣は崩壊した。

評語

  • 著者は「衆怒犯し難し」の古語を引き、上海の罷市がまさにその実例であるとする。
  • 曹・章・陸の三名は真に売国を意図したわけではなく、武人に取り入るための小才を弄した末に大局を誤ったに過ぎないとしつつも、結果として売国と同じ害をもたらしたと評する。
  • 徐総統は安福派の掣肘のもとで学生弾圧と授業再開督促を行い、かえって公憤を招いて三名罷免に追い込まれた経緯を、擒故縦(わざと逃して結局捕らえる)の術になぞらえ、その苦心を評しつつも安福派の勢力は依然温存されたと指摘する。