民國演義第一〇四回 両代表、滬瀆に続議し、衆学生、都下に争嘩す (兩代表滬瀆續議 眾學生都下爭嘩)

山東問題をめぐる再抗議

  • 前回、仏米英三国の仲介でも日本は譲歩せず、中国専使陸徴祥らは再度抗議書を提出した。要旨は、ドイツによる山東権益の獲得自体が1897年の強迫による不当な侵犯行為であり、これを日本へ移すことは侵犯手段を正当化するに等しいこと、日本がすでに南満・蒙古東部で勢力を強めている上に山東まで加われば、北京への水路・鉄道を包囲する形になり危険であること、対独宣戦により旧独条約は失効しており独の権利は中国に復すべきこと、山東は孔孟の聖地であり中国人の文化的な拠り所であることなどを説くものであった。
  • また、日本の要求の根拠である1915年の対華条約は最後通牒による強制であり、1918年の交換公文も英仏が1915年に日本と結んだ密約に基づくもので、中国は関知しないまま参戦を勧められたに過ぎないと指摘。伊代表がフィウメ問題で強硬に主張を貫いた例を挙げ、山東問題についても列強が同様に取り合うべきだと訴えた。
  • しかし列強は結局動かず、日本専使は取り合わず、英米仏も傍観するのみであった。

上海和議の再開

  • 上海南北和議は唐紹儀の中止宣言以来一月余り停頓していたが、江蘇督軍李純の調停案や、専員張瑞璣による陝西停戦確認の報告、鄂・贛両省督軍の後押し、さらに上海の諸団体からの督促を受け、南方側も4月4日に緊急会議を開き再開を決定。7日から続開することとなった。
  • 4月7日から両総代表・各代表が集まり、非公開での審議とすることで合意。9日から正式に議題を提出し、以後は秘密裏に審議が進められた。伝聞では南方13項目・懸案6項目、北方は大綱2項目・細目8項目を提出し、議題は国会・軍政・財政・政治・善後・未決の6分野に整理されたというが、詳細は世間には伝わらなかった。

巴里山東問題と学生の反発

  • 5月初旬、巴里会議での山東問題の帰趨に関連し、北京の学生らが親日派とされる曹汝霖・章宗祥・陸宗輿を非難する動きを見せた。3人は従来の対日交渉文書に署名しており、留学生の間でも既に「漢奸」視されていた。
  • 陸徴祥が渡欧する際、章宗祥は日本側に「陸とは親しいので支障はない」と請け合っていたが、その後派遣された王正廷・顧維鈞らが山東問題で強く抵抗したため、日本側との約束が破られた形となった。曹汝霖・章宗祥は密かに連絡を取り合い、政府に働きかけて顧維鈞・王正廷を召還し、章宗祥を代わりに出席させようと画策した。
  • この密謀が上海の新聞に暴露され、日本在住の中国人留学生が激高。日本の電報局が電文の受付を拒否したため、留学生は上海の新聞・団体に郵送で通知を送り、章宗祥の対日迎合を非難した。
  • 章宗祥が帰国の途につくと、東京新橋駅で留学生数十名に取り囲まれ、借款や密約の詳細を問い詰められた。妻の陳氏も同行していたが、留学生から「妻を売ってはどうか」と皮肉を浴びせられ、狼狽するばかりであった。神戸から乗船後、陳氏は夫を責め立て、章はこれに開き直った返答をしたことが同船客に漏れ聞かれた。

曹汝霖の懐柔策と留学生の弾劾電

  • 帰京した章宗祥は曹汝霖・陸宗輿らと密議し、顧維鈞・王正廷の召還を画策。曹汝霖は妹を顧維鈞に嫁がせて懐柔しようとし、梁啓超を仲人に立てたが、その顛末は定かでない。
  • 留日学生界はさらに、曹汝霖・陸宗輿・章宗祥・徐樹錚・靳雲鵬らを名指しで弾劾する通電を発した。要旨は、専使の交渉を妨害し日本に迎合したこと、辺防の名目で日本と軍事的に結びつき国権を売り渡そうとしていることの二点を罪状として挙げ、国民に対策を求めるものであった。

五四運動の始まり

  • この通電を受け、北京の学生が憤激。5月3日、北京大学で全校集会が開かれ、各界と連携すること、巴里専使に不調印を貫くよう電報すること、5月7日の国恥記念日に示威運動を行うこと、4日にはまず天安門に集結することを決議した。
  • 集会では法科学生謝紹敏が指を噛み切り、血で「還我青島」の四字を書いて示し、大きな感動を呼んだ。
  • 翌日、北京大学・法政専門学校・高等師範学校など十数校の代表が集まり、演説・旗の掲示・各国公使館への訪問・曹汝霖邸への抗議行動などの手順を協議し、5月4日午後、天安門に白旗を掲げて集結する運びとなった。旗には「二十一カ条取消」「青島死守」などの標語が書かれ、謝紹敏の血書も掲げられた。集まった学生は3000人近くに及んだ。学生たちのその後の行動は次回に述べる。

評語

国内では上海の和議、国外では巴里の講和会議と、世界中が厭戦・和平を望む中、中国の一部の武人だけがなお挑発を好み、これでは国民を犠牲にするだけである。上海和議は一月余り停頓した末、周囲の督促でようやく再開したが、議事が秘密にされたことは誠意の乏しさを示すものと見る識者もいた。曹汝霖・章宗祥らの対日迎合は伝聞ほど露骨ではなかったにせよ、私利のために強国に媚びた事実は否めない。留学生や北京の学生たちが電報や集会で声を上げたことは、民気がまだ死んでいない証であり、中国が滅びない所以はここにある。ただし一時の意気に頼るだけでは根本的な解決にはならず、五分間の愛国心に終わらせてはならないと結び、学生たちに一層の努力を促す。