民國演義第一〇五回 傍らに殴られ章宗祥傷を受け、後垣を逾え曹汝霖命を奔らす (遭旁毆章宗祥受傷 逾後垣曹汝霖奔命)
天安門の集会と宣言
- 各校の学生約三千人が天安門前に集まり、代表を選んで宣言を発した。
- 宣言の趣旨は、山東・青島の権益を五国共管とし、さらに日中直接交渉に持ち込もうとする動きを弾劾し、「得られなければ死あるのみ」と各国の先例を挙げて国民の決起を訴えるものだった。
- 併せて幹事が街頭で伝単(ビラ)を配り、通行人に外交上の危機と国民大会開催の必要を訴えた。ビラの多くは巡警に押収・破棄された。
- 京師警察総監の呉炳湘や教育部の役人が説得・制止に努めたが、学生は聞き入れず隊列を組んで東交民巷(公使館街)へ向かった。
公使館めぐりと請願
- 学生代表(羅家倫ら)がアメリカ公使館を訪ね、意見書を通事に託した。イギリス・フランス公使館も公使不在のため意見書だけを託した。
- 日本公使館では衛兵に通行証を求められ拒否されたため、学生団は迂回して東城の趙家樓、交通総長曹汝霖の私邸へ向かった。
曹宅乱入と章宗祥への暴行
- 学生団は曹邸の門前で「売国奴・曹汝霖」を叫んで叩門したが応じられず、窓ガラスを割って投石し、白旗を投げ入れた。
- 曹汝霖は自ら計略として門を開かせ、学生を屋内に誘導している隙に裏門から脱出しようとした。
- 学生団は屋内に乱入し、調度を破壊、庭園の自動車や花木も荒らした後、奥座敷で日本人数名と共にいた駐日公使・章宗祥を発見。
- 章宗祥は日本人の同席を頼みに強気な態度を取ったため学生の怒りを買い、殴打を受けて重傷を負った。日本人らに助けられ辛うじて脱出、日本人経営の病院に運ばれた。
- 曹汝霖本人は塀を乗り越えて逃走する際に足を負傷しつつ六国飯店へ逃げ込んだ。妾や家人は残っていたが、女性のみだったため学生は手荒くは扱わなかった。
- そのさなか邸内から出火。学生の放火か、漏電か、曹家の自作自演かは諸説あり、著者は学生の犯行と断定できないとしている。
- 警察・消防が駆けつけて消火にあたり、学生団は解散したが、逃げ遅れた易克嶷・曹允・許德珩ら十九人が警察に拘束された。
- 北京大学の学生が多数を占めたため、同校では校長・蔡元培が学生の釈放交渉に乗り出すことになった。
章宗祥の弁明
- 病院で章宗祥は、自分だけが借款交渉の矢面に立たされ「売国奴」と罵られたことへの不満を語り、実際に浪費したのは軍閥であり、自分は段祺瑞らの武力統一策に協力しただけだと弁明した。
- なお隠退の意向をにじませつつ、友人たちに事の顛末を政府へ報告するよう託した。
- 曹汝霖・章宗祥・呉炳湘のそれぞれから、学生の家屋破壊・放火・傷害についての報告が総統府・国務院に提出された。
評語
- 著者は、北京学生の行動を無理からぬものとし、曹・章らが外債を借り主権を損なった責を免れないとする。
- ただし器物の破壊や暴行は軽率のそしりを免れず、曹・章側に言いがかりの材料を与えた面もあるとする。
- 出火については学生が火器を持っていなかった以上、放火説より漏電説の方が妥当だとする。
- 曹汝霖は逃げおおせ、陸宗輿は無事だったのに対し、章宗祥だけが殴打を受けたことに一定の同情を示しつつも、事件の当事者として殴られても仕方のない面はあったとする。