民國演義第一〇三回 巴里に集い欣びて盛会に逢い、膠澳を争い強権に勉め抗す (集巴黎欣逢盛會 爭膠澳勉抗強權)

巴里講和会議の構成

  • 外交総長陸徴祥に続き、顧維鈞・王正廷・施肇基・魏宸組が相次いで渡欧し、巴里講和会議の全権委員となった。会議には27カ国が列席し、全権大使は数十名、代表・秘書を含めれば数百名に及ぶ空前の規模であった。
  • 出席人数は国により異なり、米・英・仏・伊・日はそれぞれ5名、中国は2名で、陸徴祥ともう1名が交代で出席する形とされた。
  • 会長は仏のクレマンソー、副会長は米のランシング、英のロイド・ジョージ、伊のオルランド、日本の西園寺侯爵。協約国最高議会も米・英・仏・伊・日の代表で構成され、中国は事実上ほとんど発言権を持たなかった。

対独中国関係条項

  • 中独関係については、五大国の決定として以下が示された。ドイツは義和団条約に基づく特権・賠款を放棄し、天津・漢口の租界(膠州を除く)や施設を中国に返還する。北京公使館内のドイツ人財産処分は署名国の同意を要する。漢口・天津の租界は万国共用とする。広州英租界・上海仏租界内のドイツ資産はそれぞれ英・仏へ譲渡する、というもの。
  • これらは公平とは言い難く、膠州のみが返還対象から除外され、英仏租界内のドイツ資産が英仏へ渡る点は、漁夫の利にほかならないと評される。

山東問題と日本の要求

  • 日本の西園寺侯爵らは、膠州の権利・青島済南間鉄道の権益・青島から上海・煙台への海底電線・膠州のドイツ資産をすべて日本に譲渡するとの条文を提出した。
  • 膠州・青島はもと清朝末期、ドイツ人宣教師殺害事件を口実にドイツが租借(99年)した地であったが、大戦勃発後、中国が中立を宣言したにもかかわらず日本は膠澳を攻略し権益を接収した。当初日本は「将来中国に返還する」と表明していた。
  • 袁世凱が帝制のため日本に接近した際、日本は対華21カ条を要求し膠澳全域を含めさせ、袁はやむなく調印したが、条文には「戦後に交還を協議する」との文言も残されていた。
  • 大戦終結後、本来はドイツの租借地を中国に返還すべきところ、日本は「譲与」を主張し、以前の約束を反故にしようとしていた。

中国の抗議説帖

  • 陸徴祥らは山東問題に関する詳細な説帖を提出した。要旨は、租借の経緯と範囲、ドイツの鉄道・鉱山権益の内容、日本の軍事占領の経緯(対独宣戦、竜口上陸、二十一カ条要求、済順・高徐両鉄道の借款仮契約等)、そして中国が直接返還を求める理由を列挙するものであった。
  • 理由としては、膠澳がもと中国領土の一部であること、住民が中国人であること、山東が孔子・孟子誕生の地であり文化的に重要であること、中国の防衛・経済上の要地であること、直接返還によってこそ国際正義が保たれ日本の対独宣戦の大義とも整合すること、などを挙げた。
  • 特に、1915年の対華21カ条は最後通牒による強制であり、当時中国は中立国で講和会議に出席する立場になかったため、その前提はすでに崩れているとし、租借条約自体も中国側が対独宣戦により全て破棄した以上、権利は当然中国に復すると主張した。

日本の反論と列強の傍観

  • 説帖を見た日本の西園寺侯爵らは、青島攻略の犠牲や、中国の参戦が食糧輸送や労工提供程度の貢献に過ぎなかったことを挙げ、要求を一蹴した。
  • 米大統領ウィルソンが領土権は中国に属すべきだと部分的に取りなしたが、日本側は「損失の償還ができないなら旧ドイツ権益を我が方が得るのが公平だ」と応じ、英仏代表も概ね日本に同調したため、ウィルソンもそれ以上は強く主張しなかった。
  • 同時期、伊代表オルランドはアドリア海のフィウメ帰属問題で米国と対立し、会議から一時退席する事態となった。結果、会議の実権は仏・米・英・日の4カ国に握られ、中国の説帖は棚上げにされた。
  • 陸徴祥が働きかけて会長クレマンソー・米ウィルソン・英ロイド・ジョージによる協議が改めて持たれたが、日本は態度を変えず、仏米英も傍観に徹した。中国専使は成す術なく再度抗議を申し入れるほかなかった。小子はこの局面を、言論だけでは強権に抗し得ない現実を嘆く詩に詠んだ(詩:弱い立場で言論だけを頼りに強者に対抗する空しさを詠う趣旨)。

評語

巴里会議に27カ国が列席する中、内乱の続くロシアだけは席を得られなかった。膠澳問題では、日本代表が対独出兵の犠牲を口実に旧ドイツ権益の継承に固執したが、ドイツが敗れて権利を放棄した以上、日本の出兵の有無にかかわらず膠済は中国に返還されるべきものである。しかも日本はかつて中国の中立を侵犯して権益を奪ったのであり、その犠牲は自ら招いたものにほかならず、公法の立場からも擁護されるべきではない。中国専使の抗議は道理に適うものであったが、日本は強を恃んで弱を凌ぎ、英仏もまた弱者を軽んじて強者に迎合した。公正を重んじるはずのウィルソンでさえ不公平な争いには深入りしなかった。世界に公理があるかどうかを問いつつ、国が競い合わなければ侮られるのは当然であり、我々もひとえに外国を怨むのではなく、自ら省みるべきだと結ぶ。