民國演義第一〇一回 霊囿に集い再び会議を開き、上海灘悉く存煙を毀つ (集靈囿再開會議 上海灘悉毀存煙)

巴里講和への専使派遣と列強の勧告

  • 欧州大戦終結を受け、中国政府は外交総長陸徴祥を講和会議への専使として渡欧させた。陸は在任のまま次長陳箓に部務を代行させ渡欧した。
  • 英・米・仏・日・伊の五カ国公使は、それぞれ本国政府の訓令を受けて南北調停に乗り出し、まず北京政府に勧告書を提出した。内容は、中国の内乱が長期化して協商国全体の利益を損なっていること、双方が私見や法律の細目にこだわらず速やかに和平統一を図るべきことを説くものであった。
  • 広東軍政府もこれに華文で回答し、護法の趣旨は個人的な意見や法律の些末な争いではなく、武力派の専横に対抗し民主主義を守るためであると説明。すでに前線に停戦を命じ、和平会議開催の準備に入っていることを伝えた。

督軍会議と停戦五カ条

  • 徐総統・銭代総理はすでに列強の仲介を得ていたこともあり、各省督軍を招集して協議した。奉天の張作霖、安徽の倪嗣衝、直隷の曹錕、吉林の孟恩遠、湖南の趙倜、湖北の王占元、江西の陳光遠、山西の閻錫山、淞滬の盧永祥、綏遠の蔡成勲らが上京し、集霊囿四照堂で会議が開かれた。参戦督弁の段祺瑞も同席した。
  • 主戦派・主和派それぞれの思惑があったが、内外の情勢に押され、段祺瑞も含め和平に同調する空気となった。
  • 会議では停戦撤兵、対外交渉、被害省の善後、軍隊の整理、財政整理の五項目を議定し、各省へ通電した。しかし実際には空文に終わりがちであった。

対外団体の設立

  • 熊希齢・汪大燮らは協約国との友好を目的に協約国国民協会を組織し、熊希齢を会長、汪大燮と仏人鉄士蘭を副会長に選んだ。
  • 総統府には外交委員会が新設され、汪大燮が会長、熊希齢らが委員となって対外事項を審議した。
  • また全国の省議会・商会・教育会の代表が集まり、全国和平連合会が民国7年12月18日に成立。宣言では、南北の衝突点について第三者として公正な意見を発表すること、事前に各種問題を研究し民意に基づいて主張すること、南北会議の場に人を派遣して国民の正当な主張を貫徹することの三点を掲げた。

財政の窮乏と公債

  • 各省軍閥は税収の多くを私腹に収め、督軍職に就けば富をなす者が続出する一方、中央財政部も実態を把握できず放置していた。
  • 中央政府は借款に頼るほかなく、電話借款・紙幣借款など名目上は実業振興を掲げた対日借款が実質は財政の穴埋めに使われていた。公債も乱発されたが信用は低く、庚子賠款の延期償還でようやく一息つく有様であった。
  • 民国7年末には中国・交通両銀行への累積欠損が8000万円を超え、資金繰りが逼迫。財政部は新たに額面1万円・1000円の短期公債(発行総額4800万円、利息6厘、5年償還)を発行して両行の穴埋めに充てたが、実際には民間に信用がなく、官吏の給与代わりに強制的に割り当てられるなど、官民ともに困窮した。

上海アヘン存土問題と焼却

  • 清末の禁煙条約に基づく期限が迫る中、民国7年1月、江蘇省が上海の英商所有アヘン(約1500〜1600箱)を製薬用として買収する契約を結んだ。
  • 数か月後、英米公使が「転売の疑いがある」と外交部に抗議。財政部は「製薬用途に限り条約違反はない」と弁明したが、疑念は解けなかった。
  • 政府はついに買収した存土を全量焼却することを決定。徐総統名で内務・財政両部に対し、現存量を確認のうえ税関に集め焼却するよう命じる令を発した。
  • さらに厳格な禁煙令を重ねて発し、密種・密輸・密売の徹底取締りと違反者の処罰を命じた。
  • 専員張一鵬が上海に赴き、江蘇当局と現存の煙土約1600箱余り(すでに300箱余りは売却済み)のうち約1200箱余りを浦東で公開検分のうえ、3日間かけて焼却した。上海の各国領事団や地方団体は万国禁煙会を組織し、アヘン・モルヒネの医薬用途以外の禁止を申し合わせた。
  • 小子はこの焼却について、決意を示す一炬も、心得のない者の密売を防ぎきれないことを嘆く詩を詠んだ(詩:焼却で決意を示しても、私利に走る者の密売は根絶し難いという趣旨)。

評語

和議は民を安んじ、禁煙は害毒を除くもので、徐世昌が就任早々これに着手したのは称賛に値する。集霊囿の会議では主戦派にも悔悟の色が見え、上海の焼土には領事団も協力するなど、統一と民生回復への転機となるはずであった。しかし後の結果を見ると、和議はなお衝突を繰り返し、禁煙も密売が絶えず、長官たちが忙しく立ち回り煙土を焼くばかりで実効が上がらなかった。加えて債務は増え続け、官民ともに疲弊しており、前途を憂える識者は尽きない。