民國演義第九十三回 岳州を下し前軍敵に克ち、長沙を復し迭次功を奏す (下岳州前軍克敵 復長沙迭次奏功)
馮国璋の長文通電
徐樹錚の圧力に窮した馮国璋は、各省督軍・省長へ長大な通電を発し、代行総統就任以来の経緯と苦衷を訴えた。黎元洪の代理としてやむなく上京したこと、段内閣との対立、湖南出兵の是非をめぐる混乱、国会の空白、財政窮乏、内閣運営の困難などを縷々述べ、自らの進退について各省の意見を求めるものであった。
段祺瑞の総理復帰
この通電も実効を欠き、段派はなお段祺瑞の総理再任を強く求めた。馮はついに屈し、段を総理に迎えることを余儀なくされる。この間、曹錕・張敬堯の軍が湖北に到着し、王汝賢・范国璋も曹錕の意を受けて奮起、第三師旅長の呉佩孚が前敵総司令として先頭に立ち、湘・粤・桂連合軍を各地で撃破した。海軍の杜錫珪も加わり水陸から進撃、月塘嘴・羊楼市・通城・臨湘などで連戦連勝し、三月十七、八日には要衝岳州を攻略した。馮政府はこの戦功を賞する令を発した。
岳州陥落と民の惨状
主戦派は勢いづいたが、徐樹錚は軍糧城から中央に段祺瑞の総理再任を迫り続けた。総理王士珍はついに辞任し、三月一日、段は参戦事務処を組織(靳雲鵬・張志潭・羅開榜・陳箓らを起用)、三月二十五日には正式に総理に任命され(三度目の組閣)、財政総長を曹汝霖兼任、司法総長を朱深に替える人事を行った。陸軍総長は段芝貴が留任し、段は内外を一手に掌握した。
長沙の攻略
段の総理就任を見た徐樹錚は奉軍を続々と湘・鄂方面へ送り、曹・張の軍を後押しした。北軍は平江・湘陰を落とし、同山口で南軍を破って長沙に迫った。南軍は浮足立って総崩れとなり、三月二十六日、長沙は無血に近い形で陥落。張敬堯が湖南督軍に任じられ、曹錕と共に戦功を報告、中央はこれを賞する令を発した。
戦禍の実態
しかし岳州・長沙の戦禍は凄惨で、民家は焼かれ、財は略奪され、住民は逃げ惑った。政府は岳州に四万元、長沙に六万元の見舞金を出したが、被災者十万人規模に対しては焼け石に水であり、実際には着服も横行し、民に届く分はわずかであった。
段祺瑞の湖北行
戦功に気を良くした段祺瑞だったが、前線の士気持続・国庫の窮乏・馮の牽制という三つの懸念を抱えていた。徐樹錚らがこれを解消すると請け合い、倪嗣衝も上京して協議、その後段は交通次長葉恭綽・財政次長呉鼎昌らを伴い、湖北へ向かった。
評語
曹・張両軍が湖北到着からわずかな期間で岳州・長沙を回復したことは、主戦策が功を奏したかに見える。しかし後の展開はこれを裏切ることになる。一時の鋭気で功を急いだにすぎず、長続きしないところに問題があった。本回末尾で描かれる民の苦しみは、民国の戦争がいずれも無意味な行いであったことを示す。軍閥が一時の勝利を求める一方、その代償を払うのは民衆である。春秋に義戦なしとの言葉があるが、共和を掲げる時代においてなお戦いが繰り返されるとは、嘆かわしい限りである。