民國演義第八十八回 代総統、節を啓し都に入り、照会を投じ宣戦を決謀す (代總統啟節入都 投照會決謀宣戰)

海軍の独立宣言

  • 段祺瑞が乱を平定し民国を立て直したことは概ね支持を得たが、国民党系は依然として黎元洪を支持しており、黎の去職で拠り所を失った唐紹儀・汪兆銘らは上海で海軍総司令程璧光・第一艦隊司令林葆懌に働きかけ、七月二十一日、国会解散後の中央政府を否認する独立宣言を発表させた。
  • 宣言は、倪嗣衝や張勛の専横により約法と国会が蹂躙され、民国は名ばかりの存在になったと非難し、約法の回復・国会の再開・首謀者の処罰を求めるまで武装解除しないと表明した。海軍は艦隊を率いて広東へ向かい、唐紹儀・汪兆銘も同行、広東督軍陳炳焜がこれを歓迎した。

段祺瑞の対応と地方人事

  • 段祺瑞は海軍独立の報に馮国璋へ程璧光の罷免を要請し、馮はこれを認めて劉冠雄に海軍総長を兼任させた。一方、第二艦隊司令饒懐文・練習艦隊司令曾兆麟は中央への服従を表明し、政府はひとまず安堵した。
  • 段は倪嗣衝の処分は見送りつつ、約法・国会の扱いについては「旧参議院を再召集して憲法制定と国会組織法修正を行う」という便宜的な方針を各省に示し、広東・広西を除く各省の同意を得た。四川の内乱には周道剛を代理督軍として派遣し、劉存厚の成都包囲を解かせた。海軍・陸軍の人事も相次いで発令された。

馮国璋の入京と総統就任

  • 馮国璋は段系の勢力拡大を警戒して入京をためらったが、腹心の江西督軍李純を通じて根回しを整えたうえで七月三十一日に入京。黎元洪への復職要請を形だけ行ったのち、段祺瑞に促されて代理総統として正式に執務を開始した。各省は概ね祝電を送ったが、両広と雲南督軍唐継堯は、約法違反の政府として服従を拒む通電を発した。

湘督人事と対独宣戦

  • 馮国璋は江蘇督軍に李純、江西督軍に陳光遠を望み、段祺瑞はこれに対抗して自らの弟子・傅良佐を湖南督軍に推し、互いの勢力均衡を図りながら三者の人事が同日発令された。
  • 段祺瑞はかねての宿願であった対独宣戦を国務会議で決定し、馮国璋も特に異論を挟まず、八月十四日をもって独・墺両国との断交・宣戦を布告した。宣戦布告は独の無制限潜水艦作戦による被害を理由に、公法の遵守と平和の回復を目的とすると説明するものだった。駐京墺公使には正式に照会を送り、墺公使は宣戦の手続きに憲法上の疑義を唱えたが、外交部はこれを退け、墺公使も帰国した。広東軍政府も対独宣戦の布告に同調した。

評語

  • 馮国璋・段祺瑞は討逆で手を組んだ直後から早くも猜疑を生じ、両者の不和が民国の禍根であり続けたと評する。海軍独立や滇粤の反抗以上に、馮段の不一致こそが真の懸念であり、李純・陳光遠・傅良佐の督軍人事もその角逐の産物に過ぎないとする。対独宣戦についても、段が列強の歓心を得て外債を借り内乱鎮定の資とする狙いがあったとし、後にその目論見が思うように運ばなかったことへの筆者の嘆きが記されている。