民國演義第八十九回 軍餉を籌して東国に資を借り、師旅を遣り南湘に出撃す (籌軍餉借資東國 遣師旅出擊南湘)

租界回収と黎元洪の隠居

  • 対独墺宣戦を受け、天津・漢口の旧ドイツ租界を管理していた特別区臨時管理局は「臨時」の二字を外して特別区市政管理局と改称され、天津の墺租界も直隷省が接収した。
  • 黎元洪は日本公使館から東廠胡同の旧宅に戻ったが、衛兵が発狂して同僚を斬殺する事件が起き、フランス病院に一時避難したのち、馮国璋・段祺瑞政権が落ち着いたのを機に天津の私宅に引き上げ、政治から手を引いた。

四川の内乱と戴戡の戦死

  • 四川では劉存厚の川軍と戴戡の黔軍が成都の争奪を繰り返し、戴戡は雲南督軍唐継堯らと結んで一時成都を奪還したが、劉存厚の反撃を受けて敗走中に流れ弾に当たり戦死した。中央は戴戡に陸軍上将を追贈し、周道剛を正式に四川督軍、劉存厚を会辦四川軍務として事態を収拾した。

広東軍政府の成立

  • 解散させられた国会議員のうち国民党系は広州に集まり非常会議を開き、中央政府を否認して軍政府を樹立、孫文を大元帥に選出した。孫文は段祺瑞・倪嗣衝・梁啓超・湯化竜らを違法・売国と非難し北伐を呼びかけた。

段祺瑞の借款と湘南出兵

  • 段祺瑞は南方鎮圧のための軍資金を得るため、財政総長梁啓超のもとで次官の李思浩に命じ、日本正金銀行から一千万円を「善後借款」の名目で借り入れた。さらに山東督軍張懐芝も中日実業銀行から百五十万円を借用した。
  • 湖南では督軍傅良佐が省長譚延闓から実権を奪い、零陵鎮守使劉建藩を罷免したことから劉建藩が独立を宣言、林修梅らと結んで滇粤・海軍と呼応し傅良佐に反抗した。段祺瑞は交通銀行を通じて台湾・朝鮮・興業の日本三銀行から二千万円を追加借款し、軍資金を確保。馮国璋に働きかけ、孫文と非常国会議長呉景濂、および陸軍中将藍天蔚の指名手配を発令させ、あわせて各省参議員を招集して臨時参議院を組織させた。

馮国璋の妻の死と湘南戦況

  • 総統夫人・周道如が九月十日に病没し、馮国璋は深く悲嘆したが、段祺瑞は借款と派兵を重ねて南方攻略を進めた。同時期、永定河・南運河の決壊など北方の水害が相次ぎ、段は形ばかりの賑済で済ませ、専ら対南方戦に力を注いだ。
  • 傅良佐配下の李右文軍は衡山で寝返り零陵軍に合流したため、段は北軍の王汝賢・范国璋や湘軍の陳復初らを増派して再攻撃させ、衡山・宝慶を陥落させて零陵に迫った。安徽督軍倪嗣衝も湖南へ出兵し攸県を陥落させた。

対日軍械借款をめぐる疑念

  • 湘皖両軍の勝報を受け、段祺瑞は対独宣戦の名目で日本から軍械の追加借款を図ろうとしたが、「中国の兵器工場や炭鉱鉄鉱まで日本の管理下に入る」との噂が広まり、江蘇督軍李純・江西督軍陳光遠らが真偽を質す電報を送った。段は「協約国支援のための購入に過ぎず主権侵害はない」と釈明し、両督軍も一旦は矛を収めた。

評語

  • 外債は一分借りれば一分の負担と主権の損失を伴うものであり、袁世凱政権の失敗を見ながら段祺瑞もなお同じ轍を踏んでいると批判する。善後借款も交通銀行の借款も、実質は南方討伐の軍資金であり、中央統一の大義を掲げながらも力による威圧に頼った結果、湘南で早くも綻びが生じたと指摘し、遠きを図る前に近きを治めるべきだったと結ぶ。