民國演義第八十七回 張大帥、狂奔して外使館に入り、段総理、重ねて国務員を組む (張大帥狂奔外使館 段總理重組國務員)
張勛の弁明と籠城
- 張勛は議政大臣ら兼職を辞し、共和政の混乱を嘆きつつも徐州会議で多くの督軍が復辟に賛同していたと弁明する通電を発した。事態が思うようにいかなくなったことを認めつつ、あくまで救国済民の志だったと主張し、徐世昌に後事を託して自らは引退する意向を示したが、内心はまだ抵抗を諦めていなかった。
- 敗残兵をかき集めて天壇に立てこもり、天安門・景山・東西華門・南河沿などに砲を据えて討逆軍と最後の一戦を構える構えを見せた。北京駐在の各国公使団は戦火を懸念し、清室を通じて武装解除を勧告させたが、張勛は応じなかった。
討逆軍の総攻撃と張勛の敗走
- 復辟に加担した張鎮芳・雷震春は都落ちの途中で討逆軍に捕らえられ、馮徳麟も逃走中に捕縛された。馮国璋代理総統はこの三名の官職・勲章を剥奪し法に委ねた。康有為・万縄栻らも密かに逃亡の準備を始めた。
- 七月十二日、討逆軍は三方から総攻撃を開始し、馮玉祥・呉佩孚・張紀祥らが天壇を攻撃。弾薬の乏しい張勛軍は支えきれず潰走し、張勛自身も単騎で城内に逃げ込んだ。部下は白旗を掲げて投降した。
- 張勛は南河沿の私邸で妻子とともに立てこもろうとしたが、討逆軍の機関砲による攻撃を受けて邸は焼失。張勛は摩托車で東交民巷のオランダ公使館へ逃げ込み、そこに保護を求めた。討逆軍はこの日のうちに北京を奪還し、段祺瑞に勝利を報告した。
段祺瑞の入京と黎元洪の去就
- 段祺瑞は天津から入京する前、徐世昌より「清室に累を及ぼさぬよう」と釘を刺され、清室優待条件は維持すると約束した。入京後、形式上は張勛逮捕の命令を出しつつ、歩兵統領江朝宗を日本公使館に遣わして黎元洪の総統府復帰を促したが、黎はこれを固辞し、東廠胡同の旧宅に戻って全国に辞職を通電した。
- 黎元洪はさらに長文の弁明電を発し、国会解散や張勛の入京を許した自らの落ち度を悔い、馮国璋への政権移譲を望む意を重ねて表明した。馮国璋は形だけ黎の復職を促す通電を出したものの、黎はあくまで固辞を貫いた。
内閣改造と徐樹錚の暗躍
- 段祺瑞は汪大燮・湯化竜・梁啓超・林長民・張国淦・曹汝霖・范源濂・劉冠雄らを新内閣の各総長に充てる人事を固めたが、総統の地位が定まらず発令が滞っていた。
- 段の腹心・徐樹錚(小徐)は黎元洪のもとを訪ね、後継は馮国璋であるとの黎の意向を確認し、段に伝えた。これを受け段は馮国璋の裁可を得て正式に内閣を発足させ、復辟に関与した康有為・劉廷琛・万縄栻らの指名手配も行ったが、いずれも既に身を隠しており捕らえられなかった。オランダ公使館に逃げ込んだ張勛は、徐州会議での賛同署名を切り札に「共倒れ」を仄めかして強気の姿勢を崩さなかった。
地方の混乱と清室優待の維持
- 張勛失脚の報に徐州駐屯の定武軍が動揺し、各地で略奪や叛乱を起こしたが、徐州鎮守使張文生・海州鎮守使白寶山がこれを鎮圧し、段総理から慰労の電令を受けた。
- 清室内務府は張勛による強迫の経緯を段に訴え、段・馮ともに優待条件を従前通り維持することを布告し、清室はかろうじて体面を保った。
評語
- 張勛の妻はかねて復辟の無謀を見抜いていたが、張勛は聞き入れず孤軍のまま敗走し、オランダ公使館に逃げ込む破目になった。多くの軍閥が賛同していたと過信した張勛の見込み違いを指摘し、彼が失脚したことでかえって段祺瑞が総理に返り咲く結果を招いたのは皮肉であると評する。清室が辛うじて命脈を保てたのも、この一件の副産物に過ぎないと結ぶ。