民國演義第八十六回 馬廠に誓い総司令に推され、廊房に戦い辮子軍を撃退す (誓馬廠受推總司令 戰廊房擊退辮子軍)

梁啓超の討逆檄文

  • 梁啓超は馮国璋・陸栄廷・瞿鴻禨らに事の真偽を問う電文を送るとともに、討逆を呼びかける通電を起草した。その趣旨は、優待条件のもとで清室は安泰に処遇されてきたにもかかわらず、張勛が私欲から莽・卓の故事に倣い幼帝を擁して天下を制しようと企て、黎元洪や馮国璋らの上奏をでっち上げて偽の上諭を発したと糾弾するものだった。共和政を覆せば列強の承認も失い外国の干渉を招くと警告し、清室にとっても危険な賭けであると説いた。

馬廠での挙兵と各方面の呼応

  • 馮国璋の討逆電、陸栄廷の弁明電、瞿鴻禨の心境表明電が相次いで発表され、岑春煊も討逆を唱えて清の重臣らに奸計に乗らぬよう促した。浙江・江西・湖南・湖北など各省も復辟に反対する意を示した。
  • 段祺瑞は共和軍総司令を自称して馬廠で誓師し、梁啓超起草の第二の檄文を布告した。檄文は張勛を「凶狡の資」「灶養の出身」と厳しく罵り、復辟が幼帝の本意ではなく、清朝太妃や重臣も涙ながらに反対したと述べ、董卓・朱温にも勝る大罪だと断じた。共和が崩れれば清室にも累が及ぶと警告し、清室の優待条件は変わらず守ると約し、討逆軍の大義を天下に布告した。
  • 続いて馮国璋・段祺瑞連名で張勛の八大罪状を数え上げる電文も発せられた。

討逆軍の結成と各省の呼応

  • 浙江督軍楊善徳、直隷督軍曹錕、第十六混成旅司令馮玉祥らも出師を通電し、段祺瑞を討逆軍総司令に推戴した。段は天津の造幣総廠に総司令部を置き、段芝貴を東路司令、曹錕を西路司令として進撃を命じた。
  • 馮国璋は黎元洪の委託を受けて代理総統に就任する旨を布告し、外交総長伍廷芳も上海に逃れて北京の偽外務部の文書を無効と宣言した。

張勛の孤立と敗走の兆し

  • 京城以外の各地はことごとく張勛に従わず、張勛は孤立しながらも徐世昌を太傅に任じるなど官職の乱発を続けた。清の重臣・世続らは沈黙を保ち、事態を静観するのみだった。
  • 討逆軍の曹錕・段芝貴両軍が東西から北京に迫り、盧溝橋・黄村を占領。張勛の手勢はわずか五千で、廊房で段芝貴軍と交戦したが大敗し、豊台まで押し込まれた。馮国璋は張勛の官職を剥奪し、安徽省長倪嗣衝に安徽督軍を兼任させ、残余の張勛軍を統轄させた。追い詰められた張勛は徐世昌を都に呼び寄せようとし、自身は議政大臣などの兼職を辞す構えを見せた。

評語

  • 復辟には多くの軍閥が陰に陽に関与したとされ、馮国璋もまったく無縁ではなかったが、段祺瑞だけは事前に関与しなかった。府院の衝突が督軍団の要挟を招き、それが張勛の入京を呼び込んだ経緯を思えば、責めはひとり張勛のみに帰すべきではないとする。とはいえ段祺瑞が馬廠で決然と討逆に立ち上がったことで前非を償ったと評価する。
  • 梁啓超が師の康有為と袂を分かち、討逆の檄文で名文を残したことに感慨を寄せつつ、師弟が敵味方に分かれた民国の乱れを嘆いている。張勛がわずか五千の兵で民国転覆を企てたのは無謀であり、自ら墓穴を掘った結果だと結ぶ。