民國演義第六十一回 疑案を争い怒りて江朝宗を批し、義旅を督し劉顯世を公推す (爭疑案怒批江朝宗 督義旅公推劉顯世)

袁瑛の処遇をめぐる宮中の攻防

  • 袁乃寛は炸弾事件と密書の件で袁世凱に厳しく叱責され、恐怖のあまり帰宅後に袁瑛を打とうとするが、袁瑛は「自分一人の責任」と言い放って立ち去る。
  • 天津警察庁長楊以徳の警察隊に拘束された袁瑛は軍政執法処に送られ収監され、乃寛は放免される。
  • 洪姨・周姨(憶秦楼周氏)が袁世凱に取りなし、「袁瑛は乱党に唆されたに過ぎず、乃寛父子を厳罰にすればかえって内変を助長するだけ」と説く。袁も態度を和らげ、乃寛は不問、袁瑛のみ収監にとどめることとする。

沈祖憲・勾克明の逮捕と釈放

  • 歩軍統領江朝宗が密令により沈祖憲・勾克明を拘束、両名が持つ盟約者名簿を口実に交通次長麦信堅宅の同居人や司法次長らも多数連行する。
  • 軍政執法処長雷震春の下で審理するが、管轄をめぐり江朝宗と雷震春が口論の末に殴り合いになり、朱啓鈐・段芝貴が仲裁に入る。
  • 沈・勾は外交機密漏洩の嫌疑(袁瑛事件とは別件)で取り調べを受けるが証拠不十分として釈放される。袁瑛のみ拘留が続く。
  • 御用紙《亜細亜報》は、沈・勾は無関係で、四公子克端の書簡と見られたものは実は劉積学の筆跡だったと報じ、事件をうやむやに終わらせる。

貴州・雲南の独立進行

  • 雲南将軍唐継尭が貴州も兼領する中、貴州巡按使龍建章は討袁連合の動きを恐れて辞任を図るが却下され、そのまま逃亡し貴陽は動揺する。
  • 護軍使劉顕世は袁政府に軍費三十万を要求して受け取った上で挙兵し、蔡鍔配下の護国軍と連携する。
  • 護国軍第一梯団は四川敘州を攻略、蔡鍔本隊も貴州へ進み、公民らの推戴を受けた劉顕世を都督として貴州独立を宣言。布告文で袁世凱の帝制企図と外交上の失策、曹錕軍の暴虐を非難し、討袁の大義を掲げる。
  • 護国第一軍は右翼(黔軍・戴戡)左翼(滇軍)に分かれ、北伐を開始する。

評語

  • 著者は、袁世凱が生涯を通じ秘密を好んだ末、側近にも秘密の手管で裏をかかれたことを皮肉り、誠意を欠く者は必ず報いを受けると結ぶ。劉顕世が袁から軍費を引き出して討袁に用いた策も、袁自身の手口を真似たものだと評す。