民國演義第五十一回 刺客に遇い険しくも毒手に遭い、名姝を訪ね相見て心を傾く (遇刺客險遭毒手 訪名姝相見傾心)

老臣たちの辞職

帝制の動きを見て、李経羲・趙爾巽・張謇ら袁の旧知の大物が相次いで辞表を出し、都を去った。張謇はもともと袁の師にあたる間柄であったが、帝制風潮の中で忠言が容れられず、離京を決めた。国務卿・徐世昌だけは身動きが取れず、しばらく留任を続けた。

段祺瑞暗殺未遂

下野して都に留まっていた段祺瑞の自宅に、ある夜刺客が忍び込んだ。段は手にした拳銃で応戦し、刺客は寝台の下に逃げ込んだところを絶命させられた。段は騒ぎを大きくせず、遺体を密かに埋葬させ、口外を禁じた。数日を経ずして噂は都中に広まったが、刺客の正体は分からずじまいだった。以後、段は門を閉ざして交遊を絶ち、養病を口実に西山に身を潜めた。

猜疑の連鎖

段祺瑞の失脚後、山東将軍・靳雲鵬は江蘇将軍・馮国璋と結んで自衛を図ったが、これが「段・靳・馮の連携」との噂を呼び、袁の猜疑は馮にまで及んだ。袁は長子・克定に模範軍を練らせ、また各地への部隊配備を換防の名目で行い、暗に牽制した。

蔡鍔への警戒と懐柔

雲南から召し上げられた蔡鍔は、袁の前で終始鈍才を装い、野心のなさを示そうとしたが、袁は内心「大智若愚を演じているのだろう」と見抜いていた。それでも袁は蔡鍔を軍事顧問・参政院参政など数々の要職に任じて厚遇し、懐柔しようとした。蔡鍔はある日、帝制について問われると一転して賛意を示し、かつて二次革命の調停に動いた過去について問い詰められても機転で切り抜けた。内心は虎口に身を置く危うさを痛感していた。

消閒会での応酬

以後、蔡鍔は帝制派の人々と親しく交わうようになり、楊度ら「六君子・十三太保」との酒席にも加わった。酒席で楊度に「師である梁啓超が帝制反対の論文を書いたのに、なぜ賛成するのか」と詰められると、蔡鍔は「あなたも梁氏とかつて保皇会の同志だったではないか」と切り返した。さらに小鳳仙との交際を揶揄されると、「人情は同じ、皆が帝制に賛成するように私も花柳を好むだけ」と軽妙にいなし、請願書への署名にも屈託なく応じて見せた。

蔡鍔と梁啓超の師弟の縁

蔡鍔は湖南出身、若くして梁啓超の時務学堂に学び、日本留学を経て広西・雲南で軍歴を積み、雲南独立の際には都督に推された経歴を持つ。楊度らはなお疑いを解かず、小鳳仙との仲を持ち出してからかったが、蔡鍔は悪びれず「小鳳仙は八大衚衕でも評判の妓で、私が贔屓するのも人情」と受け流した。

評語

段祺瑞は袁の腹心でありながら帝制反対の姿勢ゆえに命を狙われた。刺客を放ったのが袁でないなら誰であろうか、と暗に示唆する。袁は段を除けず、蔡鍔も殺せぬまま寵愛で縛ろうとしたが、真の英雄は籠絡されるものではない。蔡鍔が自ら汚名を被ってまで機をうかがう苦心と、それに寄り添う小鳳仙の存在は、妓楼の中にあってなお得難い人物として特筆に値する。