民國演義第五十回 故宮に逼り帝号を除くを勧め、密電を伝え輿情を強脅す (逼故宮勸除帝號 傳密電強脅輿情)

参政院の帝制推戴上奏

参政院(代行立法院)は各省・特別区域・満蒙回蔵の代表や商会・華僑団体などから寄せられた八十余件の請願を根拠に、共和制は中国の国情に合わず君主立憲こそ長治久安の道であると咨文をまとめ、国民代表大会組織法を可決して大総統に布告するよう求めた。袁世凱はこれを見て意を強くし、民国四年の双十節(国慶)の祝宴を取りやめさせた。

清宮への圧迫

袁は梁士貽・江朝宗を密使として紫禁城に送り、宣統帝の帝号を撤廃させようとした。応対した世続は優待条件を盾に拒絶し、いきり立った江朝宗が乱暴に出かけたが、梁士貽が取りなして引き下がらせた。世続は両太妃に伺いを立てると答えるにとどめた。

奕劻の死と梁士貽の献策

数日後、慶親王奕劻が急死したとの報が入る。梁士貽は、廃帝の議論に心痛したためだろうと推測する。袁は帝号撤廃を急ぐ意向を示すが、梁士貽は「まず清室に袁への推戴をさせ、袁が帝位に就いてから帝号を撤廃させれば筋が通る」と進言し、袁はこれを大いに喜んだ。あわせて国民代表大会の選挙工作も梁に一任された。

国民代表選挙の不正指示

辦理国民会議事務局長・顧鼇は梁士貽と諮り、各省将軍・巡按使に宛てて秘密電報を発した。内容は、初選当選人をあらかじめ選別し、選挙人を意のままに誘導・強制してでも投票結果を掌握せよというもので、さらに国民代表大会組織法の各条について、監督が候補者をあらかじめ物色し、投票を分担・監視して確実に当選させる具体的な工作手順まで指示していた。

籌安会の衣替え

籌安会・請願連合会はすでに下火となり、国民代表大会工作に人心が集中していた。楊度らのうち梁士貽に付き従う者だけが勢いを保ち、楊度は「籌安会」の看板を「憲政協進会」に掛け替えて世間の耳目を引こうとしたが、実態は変わらぬものと見抜かれた。

(詩:節操なく時流に付き従う者を風刺する内容)

袁の側近の中にも帝制の渦中に巻き込まれるのを嫌い、辞職を願い出る者が相次いだ。

評語

国民代表大会の組織開始と同時に国慶祝賀を中止し、清宮に帝号撤廃を迫るなど、袁は死期が迫るのも知らず帝号を欲するさまが、かつての呉三桂を思わせる。清室に尽くした奕劻の死を袁が顧みなかったことは、恩を仇で返す者への戒めとなる。梁士貽の才知は袁を凌ぐほどだが、王莽に対する劉歆になぞらえれば、選挙操作にまで手を伸ばすその手腕は評価されつつも、天意には逆らえないと結ぶ。