民國演義第四十五回 賀振雄、首めて禍国の賊を劾し、羅文乾、立ちどころに検察庁を辞す (賀振雄首劾禍國賊 羅文乾立辭檢察廳)

籌安会の結成

  • 楊度・孫毓筠・嚴復・劉師培・李燮和・胡瑛の六人が発起人となり「籌安会」を旗揚げする。それぞれの経歴(前清保皇派出身の楊度、辛亥革命に加わった孫毓筠、英語に通じた嚴復、経学者劉師培、革命軍出身の李燮和、宋教仁の下にいた胡瑛)が紹介される。
  • 米国人顧問・古德諾が君主政体の優位を説く論文を発表したことに触発され、六人は宣言書と会則をまとめる。
  • 宣言書の要旨は、辛亥革命後の共和政は南米諸国と同様に党争・内乱を招きかねず、古德諾も中国には君主制が適すると説いている、国の安泰を図るため籌安会を組織する、というもの。
  • 会則五条では、学理研究・政論商討を名目とする趣旨、会員資格、理事長・副理事長・理事の体制、事務所を北京石駙馬大街に置くことなどが定められる。
  • 楊度が理事長、孫毓筠が副理事長、嚴復・劉師培・李燮和・胡瑛が理事に就任し、事務所を開設する。世間は当初「安を籌る」の字面だけを見て誤解していたが、宣言書の内容から帝制推進の企てと知れ、「籌安会は皇帝製造所」との噂が広まる。
  • 官憲は言論統制を敷いて街談巷議を取り締まる一方、御用新聞の《民視報》《亞細亞報》は連日籌安会を礼賛する。

賀振雄・李誨の弾劾上書

  • 《順天時報》に賀振雄の肅政廳長宛上書が掲載される。籌安会の六人を国賊と断じ、歴代王朝の興亡を引きながら、共和を守り抜いてきた大総統の功績を汚す陰謀だと激しく非難し、厳罰を求める内容。
  • 続いて李誨(李燮和の族弟)も検察庁宛に上書する。約法で共和が定められ、袁自身も帝制否定を繰り返し宣言してきた経緯を指摘し、籌安会の主張は国憲を紊乱する内乱罪に当たると訴える。
  • 両者とも湖南の出身。賀振雄は革命に加わりながら不遇であった鬱憤から、李誨は族兄・李燮和との不和から、それぞれ上書に踏み切ったと説明される。
  • 御用紙は二人の上書を黙殺・嘲弄する一方、《順天時報》のみが全文を掲載する。籌安会の門前には警備の兵が立ち、事実上会を守る格好になる。
  • 李誨はさらに内務部にも上書し、籌安会の設立手続きの違法性を突くが、これも音沙汰なく放置される。

羅文乾の辞職

  • 総検察庁長・羅文乾は李誨の上書に心を動かされ、司法総長・章宗祥に善処を求める。だが章宗祥はかえって籌安会を擁護し、内務総長・朱啓鈐も李誨の上書を一蹴したことを明かす。
  • 取り合ってもらえないと悟った羅文乾は、翌朝病気を理由に辞表を出し、家族を連れて夜のうちに北京を去る。
  • (詩:世の混濁を独り醒めた目で見つめ、都を去って清風の中に身を退く心境を詠む)

評語

  • 賀振雄の上書は籌安会を痛烈に糾弾する筆致で、附和雷同する者への戒めとなる。
  • 李誨の上書は袁自身の過去の言明を引いて暗に袁を批判するもので、楊度らのみならず袁自身にも自省を促す内容である。
  • しかし楊度らも袁も恥じ入る様子はなく、高官たちも見て見ぬふりを続ける中、羅文乾だけが節を曲げず身を引いたことは、官を辞して去った古の高潔な人物にも劣らぬ行いとして評価される。