民國演義第十七回 協約を示し梁如浩を驚き走らせ、外交を議し陸子欣を忙殺す (示協約驚走梁如浩 議外交忙煞陸子欣)
露蒙協約の全文
- 駐京ロシア公使が外交部に届けた照会は「露蒙協約」であった。前文は「蒙古人民全体が独立を宣言し、中国の官吏・軍隊は退去、哲布尊丹巴が君主に推戴された」ことを前提に、ロシアと蒙古が通商関係を定めるとするもの。
- 主な条項は、ロシアが蒙古の自治制度・軍隊保有権を支持し中国軍・中国人の入植を認めないこと、蒙古がロシア人に通商上の優遇を与え他国人にロシア人以上の権利を与えないこと、蒙古が中国等と条約を結ぶ際もロシアの同意なしに本条約を害する内容を定めないこと、などであった。
- さらに附属約十七条があり、ロシア人の自由な居住・移動・商業活動、免税、銀行開設、土地の租借、鉱山・森林・漁業権、領事設置と裁判管轄、郵便・交通路の敷設など、蒙古におけるあらゆる権益がロシア側に与えられる内容だった。小子はこれを中華民国の国恥として記録する。
梁如浩の逃避
- 梁如浩は照会を一読し、蒙古に主権らしきものが何も残っていないことに愕然とした。自分の在任中にこの重大事件が起きたことに困惑し、しばらく思案した末「有了!有了!(分かった!)」と叫んだ。
- 周囲はてっきり名案があるものと思い遠慮していたが、梁は総統府に赴いた後、二日ほど姿を消し、辞職願一通だけを残して「病気のため職務を続けられない、後任を」と辞任してしまった。
- 袁総統は苦笑してこれを受理し、外交に通じた前国務総理・陸徴祥を後任に選び、参議院に諮った。議員たちも露蒙交渉が緊迫していたため異論なく承認、陸徴祥が改めて外交総長に就任した。
開魯県の陥落と熱河出兵
- 陸徴祥がロシアへの不承認照会を準備していた矢先、熱河都統・昆源から開魯県が蒙古の匪賊に攻め落とされたとの急報が届く。東札魯特協理官・保紮布が外蒙古に煽動され、東西札魯特・科爾沁各旗と結んで開魯を攻略し、漢民を追放して掠奪・殺戮を行ったものだった。
- 袁総統は姜桂題に毅軍十四営を率いて救援に向かわせ、陸徴祥にロシアとの交渉を急がせた。しかしロシアは外蒙古を煽動して侵攻させた張本人であり、協約撤回に応じるはずもなかった。
- 哲布尊丹巴とその実権を握る杭達多爾済はロシアの要求にほぼ従い、陶什陶に精鋭を率いさせ、科布多方面から新疆へ、東蒙から吉林・黒竜江へ、綏遠方面から山西へ、熱河から北京へと四方面からの侵攻計画を立てていた。開魯陥落はその先駆けであった。
- 袁は各方面の防備を厳戒させたが、奉天都督・趙爾巽はすでに辞職して帰京していた。
蒙旗への説諭
- 内蒙古烏蘭察布盟からの不満(共和政策が蒙古の宗教・遊牧を害するとの訴え)に対し、国務院は宗教・私産の保護や蒙・回・蔵に対する優待条件を改めて説明し、誤解を解くよう各旗に布告した。
対露議案
- 年末に至っても露蒙問題は片付かず、外交総長・陸徴祥は対露方針として、甲案(蒙古は中国領土でありクーロンは全蒙古を代表しない、活仏に外交権なし、協約を取り消して改めて中露条約を結ぶ)、乙案(蒙古の領土権は中国に属し、駐兵・警察配置を認めさせつつ他国の干渉・移民を排除する)を提出した。
- 一同がこの方針で交渉を始めようとした矢先、今度は駐京イギリス公使から先に提出していた要求条件への回答を求める照会が届いた。
小子これに詩を詠む。「朔漠方愁塵霧黯、歐風又卷海濤來」(北方の砂漠が暗い霧に覆われて憂うる矢先、今度は欧州の風が海の波濤を巻いて押し寄せる)。
イギリス公使の照会の内容は次回に明かされる。
評語
- 露蒙協約は国際交渉上の重大案件であり、国恥中の国恥である。民国元年九月の時点で抗議を主張する意見もあったが、外交総長・梁如浩は事実未確認を理由に対応を先延ばしにし、協約発表後は逃げるように辞職した。外交責任者としてこれでよいのか。
- ロシアと庫倫が連携して東進した後も、袁総統は防備の兵は出しつつ懐柔策に終始し、名目は慎重、実態は遷延であった。武力を後ろ盾としない外交を、外交総長ひとりの弁舌でどう乗り切れるというのか。民国建国早々からこの体たらくであったことは、嘆かわしい限りである。