民國演義第十五回 孫黄並び至りて政綱を協定し、陸趙遞に更わりまた総理を易う (孫黃並至協定政綱 陸趙遞更又易總理)
孫文の北上
- 職を辞した孫文は長江沿岸の各省を遊歴し、各地で歓迎を受けていたが、袁世凱総統から重ねて招請を受け、北京に上る。
- 到着すると駅の内外は出迎えの人波で埋まり、各界代表の歓迎を受けた。袁総統は委員を派遣して出迎え、馬車を用意して孫文を迎え入れた。
- 孫文は総統府に袁を訪ね、両者は歓談したが、共和政体の確立を望む孫文と、権力を掌握しようとする袁とでは思惑が根本的に異なり、表面は親密でも心底は打ち解けなかった。
- その後も総統府はたびたび孫文を招いて酒宴を開き、連日のようにもてなした。
酒席での政策談義
- 袁は孫文を高等顧問官に任じようとしたが、孫文は「政治は公(袁)に、実業は私(孫)に任せてほしい。公が十年総統を務め兵百万を養う間に、私は鉄道二十万里を敷けば、中華民国は富強になる」と述べた。
- 袁は「練兵にも築路にも莫大な費用がかかるが、今の窮乏した政府と民に、どうしてそれが叶うか」と応じた。
- 孫文は「志さえあれば必ず成る。紙幣に信用さえあれば、それが銀銭に代わり得る」と持論を述べ、袁は「そうでしょうか」と生返事をした。
黄興の来京
- 席上、南京の元留守・黄興が天津から到着するとの報が入り、孫文は宴席を中座して黄興を迎えに行った。
- 黄興も北京に入り孫文と同宿し、共に袁を訪ねた。袁は黄興を「幾多の革命を経て節を曲げぬ傑物」と持ち上げたが、内心では警戒していた。
- 黄興は「清朝打倒は我々の当然の責務であり、これからの民国は公正に建設すべきだ」と述べ、憲法を速やかに定めて遵守すべきとの立場を示した。袁は黙って答えなかった。
国民党の結成
- 宿舎に戻った黄興は孫文に、袁は最後まで信頼しがたい人物であり、自党の勢力を強めて牽制すべきだと説いた。
- 唐内閣崩壊後、政府内に同志が少なく、参議院の同志と統一共和党を連合させ、国民党と改称して袁政府に対抗する構想を語り、孫文も賛成した。
- 黄興は参議員を集めて交渉し、同盟会と統一共和党の議員を合併、国民党を結成、広く入党を呼びかけた。
内政大綱八条
- 袁は孫・黄への懐柔を図り、黄興を陸軍上将に任じ、孫文の鉄道計画(外債六十億を借り四十年で返済する構想)にも表向き賛成し、全国鉄道の全権を孫文に与える命令を出した。
- 袁は孫・黄と協議して内政大綱八条を定め、黎元洪副総統の同意も得たうえで通電により公布した。
- 統一国家体制の堅持、正しい風俗のための公道の主張、軍備の一時収縮と海陸軍人材の育成、門戸開放と外資導入による鉄道・鉱山・製鉄業の振興、国民実業(農林工商)の奨励、中央集権と地方分権の併用、財政の速やかな整理、党派対立の調和と秩序維持——の八条である。
国務総理の交代
- 大綱公布後、孫文は帰任のため南下したが、黄興は国務総理人事のため滞京した。
- 陸徴祥総理が就任を渋る中、袁は沈秉坤か趙秉鈞を後任に考えた。国民党員は「過渡内閣では総理だけ替えても意味がない」と沈秉坤案に難色を示し、黄興は趙秉鈞を推すことになった。
- 趙秉鈞は要領のよい人物で、唐内閣時代から袁と唐の双方に取り入り、同盟会にも加入していた。黄興はその「日和見」ぶりを逆に利用しようと考えた。
- 各党の同意を得て黄興が袁に伝え、参議院はほぼ全会一致(反対2票)で趙秉鈞を国務総理に決議、袁が正式任命した。閣員は変わらず、外交総長には梁如浩が新たに選ばれた。
国民党への勧誘と楊度の暗躍
- 黄興は各国務員を国民党に勧誘し、司法・農林・工商・交通の各総長が入党を承諾。教育総長范源濂は共和党を離党して不党を宣言し、財政総長周学熙も党綱に賛成した。
- 黄興は袁自身の入党も勧めたが、袁は正面から拒みにくく、まず顧問官・楊度を国民党に送り込み内情を探らせた。
- 楊度は湖南出身の策士で、戊戌変法期には康有為・梁啓超に従い保皇を唱えていたが、辛亥革命後帰国し総統府顧問となっていた(のちの籌安会の伏線)。
- 楊度は国民党員に対し「政党内閣主義には無理がある。一政党だけで組閣すれば他党の反発を招き機能不全になる」と説いたが、党員は納得せず、楊度の入党条件の駆け引きも決裂した。袁は「無理に入党しなくてよい」と応じた。
- 黄興は各地で演説して民智の啓発に努めたが、袁は密偵を送り込んで内容を逐一報告させ、閣員たちも表向き国民党員でありながら、実質はすべて総統の意向のままに動いた。国務会議は名ばかりとなり、実務は総統府に置かれた委員会が握った。
黄興の帰郷と評価
- 政党内閣が実効を上げないことを悟った黄興は各機関に別れを告げ、南下して上海に戻った。
- 上海の同志に対し、「袁は陰険な人物で、いずれ必ず民国を裏切るだろう。多くの犠牲を払って得たのは偽りの共和にすぎず、今後も幾度か革命が必要になるかもしれない」と慨嘆した。
- 黄興は長沙に帰省し、地元は南門を「黄興門」と改名しようとしたが、黄興は「武昌が首功の地なのに漢陽門を『元洪門』と改めた話は聞かない」と固辞した。それでも改名は強行された。
- 国慶日にあたり、袁は参議院の議決に基づき勲章授与の典礼を行い、孫文には大勲位、黄興には勲一位を授け、さらに黄興を全国鉱務督弁に任じた。黄興は「また籠絡しようとしている」とつぶやいた。
評語
- 孫・黄の上京は袁による党魁懐柔策であり、袁は両者を取り込もうとし、孫・黄も逆に袁を利用しようとした。互いに誠意なく打算のみで交わったため、真に感応し合うことはなかった。
- 黄興が推した趙内閣も結局は袁の術中に落ち、趙の入党は国民党の内情を探るためのものにすぎなかった。朝野が心を一つにすれば国は治まり、離反すれば乱れる——本回はその予兆を示している。