民國演義第七回 瓜代を請いて選挙会再開し、専使を迎え正陽門を特に開く (請瓜代再開選舉會 迓專使特辟正陽門)

袁世凱の受諾電文

清の内閣総理として退位の詔書に署名した袁世凱は、南京の孫文・黎元洪らへ返電し、共和政体の実現を喜びつつも、南下は北方の情勢不安のため難しいと述べる。

孫文の辞職と推薦

孫文は誓約どおり参議院に辞表を提出し、清帝退位・共和承認が実現した以上、自らは辞し、南北統一に功のあった袁世凱を後任に推薦する旨の咨文を送る。

臨時大総統選挙と孝陵祭告

参議院は孫文の推薦を受け、2月15日に選挙会を開く。当日孫総統らはまず明太祖の孝陵に詣で漢族光復を告げる祭祀を行い、その後の式典で「北京方面はすべて袁公の力によるもの」と袁を称える演説を行った。投票の結果、17省全票が袁世凱に投じられ、彼が第二代臨時大総統に選ばれる。

国都問題をめぐる南京と北京の対立

袁は北方の混乱を理由に南下を渋る返電を送る。孫文は「清帝の委任ではなく民国の総統として就任すべき」と重ねて促すが、袁は「北方が動揺すれば全国が危うい」として応じない。参議院でも臨時政府の所在地を巡って北京派・南京派の議論が二転三転し、最終的に南京存置が決するも、袁はなおも上京を渋る。

蔡元培ら専使の北京到着

南京政府は教育総長・蔡元培を専使とし、汪兆銘・宋教仁を副え、たまたま同行することになった唐紹儀とともに北京へ向かう。2月27日、正陽門外に「歓迎」の彩門が設けられ、盛大な出迎えを受けて入城、賓館に迎え入れられた。夜には北京の人士が代わる代わる訪ね、袁の南下を巡る北方・南方それぞれの思惑を語る。翌朝、一行は当選した袁世凱に面会するため出発する。

評語

著者は、孫文が誠意をもって辞職し、あえて袁の南下就任を求めたのは、袁が北方で勢力を蓄えたまま変心することを恐れたためだと評す。しかし機略に長けた袁が素直に南下するはずもなく、専使一行が北上した時点で既に袁の術中にあったと指摘し、袁を「一世の英雄」と皮肉交じりに評している。