民國演義第六回 優待を許し全院集議し、退位を允して民国成る (許優待全院集議 允退位民國造成)

隆裕太后への嘘と催促

太保・世続に召された袁世凱は、清の優待条件をまだ南方に送っていないと太后に告げる。実際にはとうに送っているにもかかわらず「未送」と偽り、太后から正式に送付を頼まれてようやく動く体裁を取った。

臨時参議院の開会と代表権をめぐる紛糾

南京では民国元年正月28日に臨時参議院の正式開会式が行われる。開会直前、直隷・奉天など未独立の省の代表に議決権を認めるかで議論が紛糾したが、各省代表の調停で全員が平等の権限を持つことで決着した。孫文も列席し、共和の気運を印象づける式典となった。

漢冶萍公司抵当問題

臨時政府の財政難から、陸軍総長黄興は参議院の議決を経ずに、盛宣懷が経営する漢冶萍煤鉄公司を担保に日本から500万円を借りる契約に大総統孫文と共に秘密裏に署名した。これが発覚し参議院は猛反発、湖北選出議員らは抗議のうえ辞職して帰郷し、独自の臨時国会樹立を図る動きまで見せた。結局政府はこの抵当契約を撤回した。

清帝優待条件の審議

伍廷芳代表から届いた「大清皇帝優待条件」の草案を参議院が逐条審議する。 - 皇帝の尊号は退位後も存続、外国君主なみの礼遇とする - 年間経費400万元を民国が支給する - 当面は宮中に居住し、後日頤和園に移る - 宗廟・陵墓は民国が保護する - 光緒帝陵の未完工事は民国の費用で続行する - 宮中職員は留用可、ただし今後の宦官登用は禁止する - 皇帝の私有財産は特別に保護する - 「大典に際し国民が慶賀する」の条項は削除 - 禁衛軍は民国陸軍部の編制に組み入れ、規模と俸給は従来どおりとする

皇族・満蒙回蔵待遇条件の審議

皇族の世爵継承や公権・私権を国民同等とする条項、満・蒙・回・蔵各族の平等待遇(私有財産保護、王公世襲、八旗俸給の当面維持、居住制限の撤廃、信教の自由など)も逐条修正のうえ可決された。

退位詔書の発布

条文が整うと袁世凱はこれを太后に呈し、皇族会議が開かれるが出席者はまばらであった。太后は「祖宗の築いた天下を軽々と手放すのは忍びないが、これ以上は争えない」と嘆きつつ袁に一任する。宣統3年12月25日(民国元年2月12日)、太后・宣統帝の名で退位の詔書が発布され、清朝268年の歴史が幕を閉じた。北京市内には五色旗が掲げられた。

孫文の最終五箇条提案

孫文は伍代表を通じ、清帝退位の通告手続き・袁の共和主義表明・自身の辞職・参議院による袁の選出・袁の憲法遵守誓約という最終五箇条を北京に提示し、袁もこれを了承した。

評語

著者は、優待条件の条文が清史演義の記述と重なりつつも、参議院での逐条審議の過程は本書ならではの意義があると評す。退位詔書の発布や孫文の提案の経緯を通じて、すべてが袁世凱を利する方向に運ばれていったことを示唆し、皮肉を込めて筆を結んでいる。