治世と濁世の是非
- 治まった世には是非の基準があるが、乱れた世には無いに等しい、という認識を述べる。
- 孔子の『春秋』や孟子の楊墨批判のように、乱世の是非を正す試みは古来ある。
- 秦漢以降、専制が強まり言論統制が厳しくなったため、直筆の歴史記述は難しくなり、憂憤を託す文学(歌謡や『水滸伝』『紅楼夢』のような小説)が生まれたと述べる。
中華民国という新旧交代の時代
- 辛亥革命で清朝打倒・共和実現への期待が高まったが、実現しないまま推移してきたと嘆く。
- 袁世凱は才知はあっても徳が伴わず帝政を企てて失敗し、軍閥政治の弊害を残した。
- 黎元洪・馮国璋が相次いで難局を引き継ぎ、徐世昌(東海)も南北対立のなかで苦労している現状を描く。
- 幸い臨時約法により言論・著作の自由が保たれているため、見聞に基づき忌憚なく書き記す、と執筆の立場を表明する。
執筆の姿勢
- 民国建国以来の事実を淡々と編纂し、演義(通俗小説)の形式を借りて時代を描くと宣言する。
- 自分の是非の判断が他人と異なっても構わない、公平な議論に委ねるという謙虚な態度を示す。
- 署名: 中華民国十年一月 古越東颿、臨江書舎にて記す。
続巻執筆の経緯(許廑父の跋)
- 『民国通俗演義』一〜三集は蔡東藩(蔡子)の著作で、資料収集と文章構成に優れ、刊行後広く読まれたと紹介する。
- 版元の会文堂主人が、蔡東藩の著作が民国九年までで途切れていることから続編を依頼した経緯を記す。
- 依頼を受けた筆者(許廑父)が、民国九年の李純自殺事件から民国十七年の国民政府による全国統一までを四・五集(各四十回、各三十万字ほど)としてまとめることを引き受けた。
- 自身は軍政界を渡り歩き文筆から遠ざかっていたため資料収集に苦労したと吐露しつつ、拙さを詫びる。
- 署名: 民国十八年五月 東越許廑父。