明季南略潞王出降 甲午年 1654年
張名振、金山に詩を題す
- 順治十一年(甲午)正月、張名振・劉孔昭らの水軍が数百隻で長江を遡り鎮江の金山に至った。名振は寺への布施や規律ある行動を示し、東南に向け孝陵を遥拝、金山に「十年横海の孤臣、佳気鍾山望裏に真なり」で始まる詩を残した。四月には再び鎮江方面へ進出したが、儀真での軍資調達を巡り衝突し引き揚げた。同年、名振は病に倒れ、後事を監軍張煌言に託して没し、煌言が芦花澳に葬ったと伝わる。
- 附記:泰興で捕らえられていた李公仁という秀才が張名振に助けられ、天下の情勢を問われた際「大清の兵は多いが戦える者は少ない」と答えると、名振は「中原を直ちに衝くべきだ」との志を語り、涙を流したという逸話が伝わる。