大清部院郎廷佐、張煌言に書を致す
- 清の南京部院郎廷佐は張煌言に降伏を勧める書簡を送り、投降すれば官職を得られること、隠棲を望むなら出家の道もあることなどを説いた。
張煌言、復書す
- 張煌言は返書で、自らの節義は利害損得で動くものではないと述べ、明の忠臣としての志を貫く決意を改めて表明した。
張煌言、臨難に絶命詞を賦す
- 張煌言は鄞県の人、崇禎十五年の挙人。魯王監国下で翰林院編修、後に監軍として各地を転戦、鄭成功とも協力関係を保った。勢力が衰えた末、普陀落伽山で出家しようとした矢先、部下の裏切りにより清の浙江部院に捕らえられた。降伏を勧められても「速やかな死を望むのみ」と拒み、処刑の議論が長引いた末に処刑された。刑に臨んで絶命の詩四章を残し、刑刀が二つに折れるという異変があったと伝わる。
- 附記:張煌言軍が芜湖に至った際、麺を買った兵が代金を十銭しか払わなかったことが発覚すると、煌言は「軍規は一銭の不正も許さない」として直ちにその兵を斬ったという厳格な軍紀の逸話が伝わる。また、往来する商船に識別旗を配布し保護したため、人々が「これは張爺の船(船板張爺船)」と呼んで安心して行き来したという話も伝えられている。