明季南略潞王出降 丁亥年 1647年

沈廷揚、節に殉ず

  • 沈廷揚は崇明の人。海運策で知られ弘光朝でも江北諸軍への輸送を担った。清軍の江南制圧後は浙江に逃れ、魯王監国下で戸部侍郎・浙直総督に。丁亥、松江の呉胜兆の内応計画に呼応し定西侯張名振と共に出兵するが、崇明沖で暴風に遭い軍の大半を失い、清軍に捕らえられた。旧知の洪承疇の薙髪勧告を拒み、部下十二名と共に処刑され、随行の親兵六百人も屈することなく処刑されたと伝わる。