明季北略殺星降凡(萬曆) 李自成始末(附録)
(本巻は特定の一年に属さず、李自成の出生からその死に至るまでの経緯と、明末動乱の総括的な論評を記した附録である。年代は万暦年間から弘光元年に及ぶため、内容ラベルの見出しとする。)
殺星降凡の伝説
- 万暦三十三年(1605年)、ある道士が天門に上り、包拯が「唐の黄巣以来の罪人が地獄に多数留め置かれている」と奏上した故事が伝えられる。天帝は月孛・天狗・羅睺・計都ら殺伐の神々を人間界に降し乱世を起こさせることとした。その年の大雪の際、巨人の足跡が各地に残ったとされ、翌年丙午(1606年)に李自成が生まれた。
李自成の出生と成長
- 陝西米脂県の李十戈(自成の父)が、九本の矢と一本の槍が空から飛来する夢を見た後に自成が生まれたという伝承、幼少期の逸話(蟹の詩を詠み師に「乱臣賊子となるが天寿を全うできまい」と評された話)などが記される。父の死後、家産を失い鍛冶屋の周清(満天星)に師事し、崇禎二年の京師勤王の際に隊長として従軍するも脱走、槍術の腕前で仲間の頭目となり山寨に拠った経緯が記される。
雲の加護伝説・群賊の推戴
- 李自成が洮河の畔で官軍に追い詰められた際、黒雲に守られて七騎で渡河し虎口を脱したとする伝説が、著者自身が聞き取った話として記される。
- 二十四人の頭目からなる群賊が自成を大元帥・闖王として推戴した経緯、各頭目の綽名一覧(老回回・洪太太・翻江龍など)が列記される。
李巌の帰参と仁政の演出
- 李巌が飢民救済の詩(勧賑歌)を作り、崇禎八年に自成に帰参した経緯が記される。宋献策も自成に帰参し「十八孩児、当主神器」の予言を献じた。牛金星ら二十一人の来帰者の氏名と偽官職の一覧が記される。
- 李巌は「仁義を装い民心を得るべき」と献策し、童謡(「吃他娘、穿他娘、開了大門迎闖王」)を流布させ、税負担軽減を偽って民を欺いた経緯が記される。
中州・襄陽方面の攻防(総括)
- 楊嗣昌の督師、左良玉の中州での戦い、劉熙祚の死節、長沙の一女性の奮戦、開封包囲の攻防、孫伝庭の潼関での敗北とその経緯(進士程源の事前警告の上奏を含む)が総括的に記される。
甲申変時の記録(総括的再録)
- 罪己詔、張真人による醮の記録、劉基の秘記の伝説、李自成の伝牌・黄河決壊による渡河、偽の詔勅文、李建泰出師時の凶兆、唐通・姜瓖・朱之馮ら守将の対応、宋献策の讖言による攻城予測(童子軍の活用)、割地を巡る議論と崇禎帝の拒絶、帝后の自尽、李自成の入城・入宮の様子が総括的に再録される。
大順政権の施策と内紛
- 偽の官職・印章制度の改定、公主の夢に見た帝后の話、そして李自成が羅公山で病没するに至る経緯(李巖・李牟の粛清、牛金星と劉宗敏の対立、竇氏との密通の噂を含む)が記される。李過が何騰蛟に投降した顛末も付記される。
総論(流寇論・明季致乱の由)
- 著者は明朝滅亡の原因を、①辺境の強敵(後金・大清)、②内乱(張献忠・李自成)、③天災(飢饉・蝗害)、④将相の無能(温体仁・楊嗣昌・張縉彦ら)の四点に整理し、これらが同時に発生したことが亡国の直接原因であると論じる。
- 対策論として、遼東は和議を、秦(対自成)は守りを主とし戦を補助とすべきであり、対献忠は逆に戦を主とすべきであったと論じ、南宋の岳飛による荊襄回復の故事を引いて、当時の為政者の失策を批判している。
(本論は康熙十年辛亥(1671年)四月、著者自身の跋文により締めくくられる。)