明季北略國運盛衰 論
(本巻は特定の年に属さない、明朝の国運盛衰・党争・流寇の起源をめぐる総括的論説三篇からなる巻末の附論である。)
神宗~熹宗期の国運の推移
- 神宗即位初期は張居正が法を以て天下を治め、戚継光・李成梁ら名将を用いて辺境は三十年安泰であったが、居正の専横とその死後の反動、皇帝の怠政(国本論争を機に朝政を顧みなくなったこと)により、次第に朝綱が乱れていった経緯が概説される。
- 万暦末から天啓・崇禎にかけて朋党の争いが激化し、辺防・吏治が顧みられぬまま賄賂が横行し、風俗が乱れ、遼東の敗戦と流寇の蜂起を招いた構造が論じられる。
- 著者は「万暦の寛弛が太平を、崇禎の厳しさが禍乱を招いた」とする俗説を退け、崇禎帝の勤勉さ自体は評価しつつも、既に手遅れであった構造的な衰退を強調している。
門戸大略(党争の概略)
- 東林党の起源(顧憲成・鄒元標・趙南星ら)、国本論争、李三才・淮撫の論、妖書の獄、梃撃の案、辛亥・丁巳の京察における東林派の排斥、天啓年間の魏忠賢専横と東林諸賢(楊漣・左光斗・魏大中ら)の惨殺、崇禎帝即位後の忠賢一党の失脚と東林の復権、その後の枚卜事件(銭謙益と周延儒の相克)、温体仁・薛国観の専権、周延儒の再召と失脚、南明弘光朝における馬士英・阮大鋮の専横と左良玉の清君側の挙兵に至る、明末党争の全経緯が詳細に論じられる。
- 著者は東林・反東林の双方に功罪があるとし、東林は議論が高尚だが実務の成果に乏しく、反東林は国事に益するところなく私怨で動いたに過ぎないと総括する。両党とも国事を顧みず私争に明け暮れたことが、明朝滅亡の一因であったと結論づける。
- 北都・南都で殉難した忠臣たち(孟兆祥父子、汪偉夫婦、淩義渠、施邦曜、周鳳翔、陳純徳、呉甘来、朱之馮、衛景瑗、呉麟徴、王家彦、成徳、劉理順、馬世奇、汪偉ら)の壮絶な最期が改めて列挙され、党派を超えた忠義の輝きとして称えられる。
流寇大略(流賊起源の概略)
- 流寇の起源は秦地方の潰兵(耿如杞入援の軍)にあり、楊鶴の招撫策の失敗、洪承疇の剿討、陳奇瑜・盧象昇・孫伝庭らによる討伐と辺境防衛との兼務による疲弊、熊文燦の招撫策の失敗(張献忠を許した結果の勢力拡大)、楊嗣昌の督師と瑪瑙山での勝利、その後の献忠の入蜀・襄陽陥落、李自成の河南府攻略と福王殺害、開封の水没、孫伝庭の潼関敗死と西安陥落、山西を経ての北京侵攻、李建泰の敗走、京師陥落と崇禎帝の崩御に至る流寇興亡の全経緯が概説される。
- 著者は、大順軍による北京占拠後、明朝の官吏の多くが降伏し、殉難者がわずかであったことを痛惜し、南都における従逆案の審理も賄賂と党派対立によって公正を欠いたことを批判している。