明季北略殉難文臣 思宗 崇禎十七年甲申 1644年

(本巻は、前巻に続く同じ崇禎十七年甲申の北京陥落・崇禎帝崩御に際して殉節した文臣・臣民・婦女・勲臣の伝記を集めたもの。年月日ではなく人物ごとに立伝されているため、便宜上ひとつの年見出しの下にまとめる。)

殉難文臣(内閣・翰林・部院の高官)

  • 範景文:大学士。京城陥落を知り自ら経(縊)を試み、家人に助けられた後、龍泉巷の古井に身を投げて死んだ。生涯清廉で辺防の建策に尽力し、南京で太傅・文貞と諡された。著者は文天祥に比肩する忠烈と評す。
  • 倪元璐:戸部尚書。三月十九日、朝服のまま北面して拝礼し、書斎で酒を酌み交わした後、自邸で縊死。一門十三人が殉節した。南京で太保・文正と諡された、北都殉難者中で最も惜しまれた人物。
  • 施邦曜:左副都御史。倪元璐の死を確認した後、自らも冠服を整え自邸で縊死。「愧無半策匡時難、但有微躯報主恩」の詩を残した。
  • 淩義渠:大理卿。崇禎帝崩御を知り、蔵書・著述を全て焼却した後、遺書を認め冠帯を整えて縊死。
  • 王家彦:兵部右侍郎。安定門守備中に内応により城が陥落、北面・南面に拝礼した後縊死。生前より民生の窮乏を憂え吏治の弊害を上疏し続けた。
  • 孟兆祥・章明父子:孟兆祥は正陽門で不屈のまま殺害され、妻何氏も殉死。子の章明は父の遺骸を収めた後、妻と共に縊死する壮絶な最期を遂げた。
  • 馬世奇:左中允。城陥落の報に接し、母への訣別の言葉を残し二人の妾と共に自邸で縊死。生前は献策・献忠討伐策や人心収攬策を上疏していた。
  • 劉理順:詹事府。状元出身。妻・妾・子・僕合わせて一家で殉節した「一家殉難の最たる者」。
  • 呉麟征:吏科都給事中。西直門守備で奮戦したが陥落後、友人と別れの杯を交わし縊死。撤兵論(寧遠放棄)を主張していたことでも知られる。
  • 周鳳翔:左諭德。崇禎帝の遺骸に接し金水橋に投身するも死にきれず、帰宅後遺書を残し二人の妾と共に縊死。
  • 汪偉:簡討。妻耿氏と共に縊死。夫婦で位置を譲り合う逸話が伝わる。
  • 呉甘来:戸科給事中。藩王の護送問題を批判する上疏で知られたが、崇禎帝崩御を知り沐浴・衣冠を整え自殺。
  • 王章:京営巡視御史。城陥落時、賊将に斬られながらも屈せず絶命。生前は甘粛巡按として善政で知られた。
  • 陳良謨:四川道御史。妾時氏と共に縊死。老母がありながら殉節した経緯が詳述される。
  • 陳純徳:御史。城陥落を知り縊死。
  • 申佳允:太僕寺丞。井戸に身を投げて自尽。老母には知らせず出仕した経緯が記される。
  • 許直:考功司員外郎。冠帯を整え北面・南面に拝礼し、詩六首を残し縊死。
  • 成徳:兵部郎中。妹・妻・幼子を先に死なせた上で自らも母に別れを告げ縊死。一門十二人が死んだ。
  • 金鉉:兵部主事。御河に身を投げて死亡。母・妾・弟も井戸で殉死。

史論(西蜀吳子曰)

  • 著者は、甲申の変で北京にて殉難した文臣がわずか二十一人に留まり、地方在任の大臣に至っては奮起した者が皆無であったことを痛惜し、忠義の心は勤務地の遠近に関わらぬはずだと論じている。また、殉難者は浙江出身者が最も多く(六人)、南北両都各四人、山西・江西各二人、河南・湖広・福建各一人と偏りがあったことを指摘し、山東・陝西・四川・広東・広西・雲南・貴州の七省からは一人も出なかったことを恥として記す。

勲臣の殉難

  • 李国禎:襄城伯。崇禎帝の柩の前で慟哭し、賊に対し「陵墓を発掘するな」「帝礼で葬れ」など三事を求め、埋葬後に帝后の寝所前で縊死した。
  • 劉文炳:新楽侯。一族十六人を井戸に投げ入れ、自らも火に身を投じて焼死。祖母(帝の外祖母)も投井死。
  • 周鏡:東宮侍衛。母(皇后の母)ら一門で自尽。
  • 鞏永固:駙馬都尉。愛馬を殺し弓刀を焼いた後、子女を伴い自邸を焼いて焼死。
  • 張慶臻:恵安伯。財を散じ一族で酒宴の後、薪を積んで焼死。
  • 衛時春:宣城伯。一家で井戸に身を投げた。
  • 薛濂(陽武侯)ら数名の勲貴も拷問死したが、著者はこれらの伝の真偽には疑問を呈しつつ記録している。

殉難臣民(下級官吏・庶民)

  • 周之茂、王鐘彦、於騰蛟、宋天顕、劉有瀾、毛維張、王国興、李若璉(崇文門守備)、姚成、高文采(一家十七人自殺)、王承恩(崇禎帝に殉じ縊死、忠愍と諡された)ら多数の官吏・小吏が、拷問死・自刎・投井・投河などにより殉節した。
  • 曹文耀・張世禧ら一族での集団自尽の例、無名の童生が悲憤のあまり血を吐いて死んだ話、菜売り湯文瓊が崇禎帝の柩を見て慟哭し石に触れて死んだ話なども記される。
  • 忠実な僕(武氏の仆)が、主人が偽官に就くのを諫死をもって諫めた逸話も特筆される。
  • 朱庭焕、方文耀、彭士宏(南宮知県、賊に屈せず斬首)、金毓峒(保定死守、一族十二人殉難)、劉会昌(保定義戦、不屈のまま斬首)、王与允(山東新城の忠孝の家系)、許琰(蘇州の布衣、悲憤のあまり数ヶ月にわたり抗議と絶食を続けた末に死亡)、計翼明(絶食死)、陳士奇(四川巡撫、重慶死守の末、張献忠に処刑)、呉継善(成都で一族四十余人と共に惨殺)ら多数の事績が詳述される。

節烈婦女

  • 揺烈孝(父母弟妹を守るため自ら死を選んだ孝女)、潘鵬の妻妾(毒酒で賊二人を殺した機知)、城外の張氏(賊を井戸に突き落として脱出)、長班吳奎の妻張氏(賊を刺殺後に投井)、王氏(賊の舌を噛み切った烈婦)、李氏姑媳(熱湯と槍で賊を殺害)、梁氏姑姪(共に投井)、馬烈婦(自刎)など、賊の暴行に抗した多数の女性の壮絶な事績が記録される。