明季北略誌異 思宗 崇禎三年庚午 1630年

天変異象

  • 正月一日、北京で大風が吹き砂塵で昼が暗くなった。三月、宝鼎が自ら鳴動し、火星(熒惑)が井宿に入って留まり、また鬼宿に入るという天文異変があった。五月二十二日、海豊県で数丈四方・高さ一丈余の巨石が突然五十歩ほど移動する怪事が起きた。著者は、元日の昼が暗くなる異変を、天地の気が塞がる兆しとして特に重視し、この年の記録の冒頭に置いている。

陝西の盗、王子順・苗美

  • 正月、陝西の辺境の盗賊王子順・苗美が逃亡兵と合流し四千に膨れ上がり、綏徳を略奪し韓城を包囲したが、総督楊鶴・巡撫劉広生が撃退した。賊は清澗を襲った後、西川へ逃れた。かつて万暦年間には辺境の兵に三か月分の兵糧を先渡しする慣例があったが、財政緊縮でこれが打ち切られ、兵の逃散・飢民の蜂起を招いたとされる。

秦の賊、山西に入る

  • 三月、陝西の賊が山西の襄陵・吉州・太平・曲沃を襲い、四月には蒲県を陥落させた。賊は自ら「横天一字王」と号した。

賊、河曲を陥落させる

  • 十一月、山西総兵王国梁が河曲で賊を追撃した際、西洋砲が暴発して自軍が混乱し、その隙に賊が河曲を陥落させた。

賊、黄甫川を陥落させる

  • 五月、賊は金鎖関を破り都司王廉を殺害。王嘉允は黄甫川・清水堡を落とし、府谷県も陥落させ孤山堡を包囲したが、榆林道白貽清が撃退。九月、延綏巡撫洪承疇・杜文煥が孤山から進撃してこれを大破したが、賊は偽って投降を申し出て包囲を脱した。

楊鶴の誤った招撫策

  • 都司艾穆が延川で賊を追い詰め、清澗の賊が投降を願い出た。三辺総督楊鶴と陝西巡撫劉広生は招撫策を進め、黄虎・小紅娘ら賊魁を赦免して延綏河西に安置したが、賊は降伏と反乱を繰り返し、略奪・暴行はやまなかった。地方官も巡撫の意向を憚って実情を報告できず、賊禍は拡大した。

劉懋、秦の賊情を論ず

  • 六月、給事中劉懋は、陝西の流賊が元来は辺境の兵と土着の盗賊が結びついたものであり、飢饉のたびに愚民が加わって勢力を拡大したと指摘。討伐すれば飢民ばかりが討たれて真の賊は逃れ、招撫すれば表向き降伏しても実際には略奪を続けるという悪循環を批判した。

劇賊神一元

  • 十二月一日、神一元らが新安県を、九日には寧塞県を陥落させて占拠。十三日には後金と通じた四千騎を率いて樹澗・保安の諸城を陥した。翌年(崇禎四年)正月、副総兵張応昌がこれを撃破し、神一元は戦死、弟の神一魁が後を継いだ。

徐孝婦、肝を割いて姑に進む

  • 湖広漢陽の孝婦徐氏(汪巻の妻)は、崇禎己巳・庚午年間(1629-1630年)の大飢饉のさなか、病に伏す姑が豚の肝を欲しがったが手に入らず、人の肝も同じ効能があるかもしれないと自らの脇腹を割いて肝を取り出し、姑に食べさせた。姑は快癒し、後年姑の死後も墓守りとして孝を尽くしたという。漢陽県令楊四知がこの話を上司に報告し、表彰を願い出た。著者はこれを類例のない至孝の話として特筆している。