舊唐書卷一百九十九下 列傳第一百四十九下 室韋

室韋

  • 室韋は契丹の別類で峱越河の北、長安東北7000里。東は黒水靺鞨、西は突厥、南は契丹、北は海に至る。君長を持たず17人の大首領(莫賀弗)が世襲的に統括し突厥に附属。角弓楛矢を用い狩猟を好む。定住し賦税なく、犬豕を飼い皮を衣服にする。婚姻は男が女家で3年間労役した後に迎娶する風習。
  • 武徳中に方物を献じ、貞観3年(629年)豊貂を貢ぎ以後朝貢が絶えなかった。
  • 室韋には嶺西・山北・黄頭・大如者・小如者・婆萵・訥北・駱駝の9部があり柳城郡東北に散在(近3500里~遠6200里)。回紇と接する烏素固部落から東へ移塞没・塞曷支(良馬多く戸口も多い)・和解・烏羅護・那礼の各部落、さらに山北・小如者・婆萵・嶺西・黄頭(兵強く戸口多い、達姤と接する)の各室韋が連なる。烏羅護の東北には古の烏丸の遺民(烏丸国と自称)も朝貢していた。北方には大室韋部落(望建河沿岸)があり、その河は突厥東北の俱輪泊に発し西室韋・大室韋・蒙兀室韋・落俎室韋を経て那河・忽汗河と合流し黒水靺鞨の間を東流し海へ注ぐ。烏丸東南には東室韋部落(峱越河北岸)もある。
  • 開元・天宝間は毎年または隔年で入貢、大暦中も頻繁に朝貢。貞元8年(792年)閏12月、都督和解熱素ら10人来朝。太和5年~8年(831-834年)に3度、9年(835年)12月大都督阿成ら30人来朝。開成・会昌中も朝貢が絶えなかった。