舊唐書卷一百九十六下 吐蕃下

代宗期、和戦の往還

  • 永泰二年、楊済を吐蕃へ派して修好、吐蕃も論泣藏らを送って謝意を示した。大暦二年、霊州で吐蕃二万余を破り、和蕃使薛景仙は「贊普は鳳林関を境界にしたい」と伝えた。大暦三年、吐蕃十万が霊武を、尚悉摩が邠州を侵したが、馬璘・白元光・郭子儀らが各地で撃退(霊州で六万余を破るなど)、劍南西川でも一万余を破った。以後、辺境防備のため安・悉・拓・静・恭五州を要害の地に移した。
  • 大暦八年、吐蕃六万騎が霊武を侵し、涇・邠でも渾瑊・馬璘が奮戦して十余万を大破。大暦九年四月、子儀・抱玉・璘・忠誠・希譲ら諸道の兵、計二十数万を動員する詔(要旨引用)が発せられ、和議か討伐かを見極める方針が示された。
  • 大暦十一年〜十四年、崔寧が四節度連合二十余万を大破し、蕃俘五百人を送還する韋倫の使節が両国の信頼回復に努めた(贊普乞立贊が「三つの恨み」を語った逸話を含む)。

建中〜貞元前期、清水・平涼の会盟

  • 建中元年、韋倫は俘囚を送還し和約を結んだ。二年、常魯が使者論悉諾羅と共に帰り、書式(「進」「寄」等の表現)をめぐる交渉があった。三年、崔漢衡が結贊(当時の大相)と定めた清水会盟が四年正月に行われ、張鎰と結贊は牛馬でなく羊・豕・犬を用いる略式で歃血、境界(涇州彈箏峡・隴州清水県・鳳州同谷県・剣南西山大渡河東を漢界とする等)を定めた盟文が全文近くの体裁で残る。
  • 興元元年、渾瑊らが武功の武亭川で朱泚軍を大破。貞元二年以降も吐蕃は涇・隴・邠・寧を侵し京師が戒厳となったが、李晟が沙堡等で吐蕃を破り功をあげた。
  • 貞元三年、吐蕃は鹽・夏二州を陥落させ、馬燧が結贊と交渉するも、平涼での会盟が破約となり(渾瑊が結贊の伏兵に襲われ辛榮・崔漢衡・鄭叔矩ら多数が捕囚となった顛末が詳述される)、馬燧は失兵の責を負った。
  • 崔漢衡は同年八月に帰還、以後も吐蕃は汧陽・吳山・華亭を掠奪し華亭・連雲堡が陥落するなど、涇・隴・邠の被害は甚大であった。貞元四年、吐蕃三万余騎が涇・邠・寧・慶・麟等州で二三万の人畜を奪った。
  • 貞元五年、韋皋が東蛮とともに臺登北谷で吐蕃を大破し尚結贊の子とされる乞臧遮遮を討った。貞元六年、吐蕃は回紇と結んだ葛祿・白服の離反を受け北庭を攻め、回紇の頡幹迦斯は苦戦、北庭は吐蕃に降った(節度使楊襲古は西州へ逃れた)。

貞元中〜後期、鹽州築城と韋皋の南詔連携

  • 貞元七年、頡幹迦斯は北庭回復に失敗し楊襲古を殺害、安西は孤立した。八年、吐蕃は霊州を侵すが唐は防衛、韋皋が維州の論賛熱を捕らえた。
  • 貞元九年、鹽州の築城(吐蕃の破壊後の再建)が行われ、韋皋も西山・南道で吐蕃を破り軍を分散させ牽制した。十年、南詔の異牟尋が神川で吐蕃を大破(「南詔伝」参照)。十三年、曹高任が臺登城で吐蕃を大破。十七年、吐蕃は鹽州を侵し麟州刺史郭鋒を殺害、韋皋は維州で大破した。
  • 貞元十八年、韋皋は吐蕃の内大相論莽熱を擒えて献上。かつて曩貢・臘城等九節度の首領馬定德・嬰嬰らが唐に降っていたことも功を助けた。この年、韋皋は八月から十二月にかけ十六万を破り七城・五軍鎮を抜き、維州を包囲し莽熱を生擒した。

元和〜長慶、和親の再構築

  • 貞元二十年、贊普が卒し(貞元十三年に長子は一年で早世、次子が継いだ経緯が記される)、以後も朝貢と告哀の使節往来が続いた。元和五年、鄭叔矩・路泌の柩と生存者が二十余年ぶりに帰還した。
  • 元和十三年〜十五年、涇州・鹽州をめぐる攻防が続き、田縉の貪政が党項の離反を招いたが郝玼・李光顔の奮戦で防いだ。
  • 長慶元年、劉元鼎を盟会使として吐蕃と会盟(詔太廟不告の先例を確認したうえで行われた)。盟文には「大蕃・大唐、各々見管の界を守り互いに侵さず」との誓いが記され、預盟の官十七人が列記された。元鼎は吐蕃本国へも赴き牙帳で会盟した。

太和〜会昌、往来の縮小

  • 太和・開成年間も朝貢は続いたが、会昌二年に贊普が卒すると使節の往来のみとなった。大中三年、宰相尚恐熱が東道節度使を殺し、秦・原・安楽等三州と石門・木硤等七関が唐に帰順、涇原節度使康季栄がこれを奏上。河隴の耆老千余人が長安に赴き喜びのあまり弁髪を解いて冠帯を争った様子が記される。

史論

  • 史臣は言う。戎狄の患いは古来久しく、盛衰は中国の強弱と表裏する。吐蕃は西陲に興り隣蕃を蚕食して版図を広げ、高宗朝には地方万里で唐と拮抗するに至った。幽陵(安史)の乱で戍卒が引き上げられ河隴を失ったのは天が与えた隙であり、以後は都に近く寇掠を繰り返した。平涼の会盟のように誠信を欺く謀もあり、孔子の「夷狄に君有るも、諸夏の亡きに如かず」との言葉どおりだと結ぶ。

  • 西戎の地では吐蕃が最も強く、隣国を蚕食し漢の疆域を脅かした。叛服常なく緩急めまぐるしいが、礼義を装いつつもその心は豺狼のごとしと評する。