舊唐書卷一百九十二 列傳第一百四十二 白履忠

白履忠

  • 白履忠は陳留浚儀の人。文史に博通した。古大梁城に隠棲し「梁丘子」と呼ばれた。景雲中、校書郎に召されたがまもなく官を棄てて帰った。
  • 開元十年、刑部尚書王志愔が「隠居読書し貞苦に操を守り古人の風がある、褚無量・馬懷素に代わって侍讀に堪える」と推挙し、(開元)十七年、国子祭酒楊瑒も学官に堪えると推挙し京師に召されたが、着任すると老病を理由に職務に堪えぬと辞した。「学は書に富み道は丘園に発し微を探り志を隠居のまま達した、洙泗の学統を汲み夷門に人材を求める、素朴な風は自ら高く官位は貴ぶところではない、几杖の齢に達し秩を加えて礼を厚くする、朝散大夫とする」との詔が下された。
  • まもなく帰郷を願い出ると「孝悌をもって身を立て静退で俗を離れ齢を重ねてなお風塵に染まらぬ、その盛徳を聞き通班(官位)を授ける、山藪を旌するだけでなく人倫を奨励したい、しばらく上京し徐ろに故郷へ戻るように」との手詔が下り、数月留まって帰郷した。郷人の左庶子吳兢に「あなたの家は空しくなっても米一斗絹一匹も得られない、五品を得ても実利がない」と言われると「先年契丹の侵寇があった際、家々は括排門夫(徴発)の負担を負ったが自分は少し書を読んでいたおかげで県が免除してくれた、今も恐縮している、今は五品を得られずとも生涯高臥し徭役を免れられるのは得難いこと」と喜んで語った。まもなく寿を終えた。《三玄精辯論》一巻を著し《老子》《黃庭内景經》に注し文集十卷がある。