舊唐書卷一百九十二 列傳第一百四十二 王希夷

王希夷

  • 王希夷は徐州滕縣の人。孤独貧窮の中で道を好んだ。父母の死後、人に雇われ羊飼いをして葬儀の費用を得た。葬儀を終えると嵩山に隠れ道士黃頤に約40年師事し閉気導養の術をすべて伝授された。頤の死後は兗州徂来山に移り道士劉玄博と隠遁の友となった。《易》と《老子》を好み松柏の葉や雑花散を服した。
  • 景龍中、70余歳ながら気力はますます盛んであった。刺史盧齊卿が訪ねて民を治める術を尋ねると「孔子の『己の欲せざる所は人に施すなかれ』、これを終身行えばよい」と答えた。玄宗の東巡に際し州県に礼をもって召され、駕前に至った時は既に96歳であった。帝は中書令張說に道義を問わせ、宦官に支えられ宮中に入り語らい大いに悦ばれた。
  • 開元十四年、「徐州処士王希夷は学と智を捨て一を抱いて貞を保ち、久しく俗塵を辞し独り林壑に赴いた、朕が封巒の礼を行うにあたり賢を求めた甲斐あって参内した、綺季(商山四皓の一人)の跡を辿りながら伏生の齢を超えている、儒を尊ぶため官秩を授け高齢を全うさせるべし、朝散大夫・守国子博士として致仕を許し山に帰す、州県に春秋の束帛酒肉を送らせ衣一副・絹百匹を賜う」との制が下された。まもなく寿を終えた。
  • 則天・中宗以後、蒲州の衛大経、邢州の李元愷はいずれも志を潔くして仕えず、蒲州の王守慎、常州の徐仁紀、潤州の孫處玄はいずれも身を退き官を辞し時に称された。